土佐藩

東洋暗殺

東洋、亥の刻(夜十時)、お城を退出。「いや、酔った」と、御殿の玄関で若党がさしだす傘をうけとり、ぱらりとひらいた。石段をおりるとき、東洋の身を守るようにして、数人の若い武士が前後した。きょうの進講の陪席者たちであった。後藤象二郎、市原八郎左...
文化人教養人

河田小龍

(洋学も学ばにゃ、ならん)と、竜馬はだいそれた野望をおこしたのである。「洋学。-」武市半平太も驚いた。武市は、漢学、国学に造詣がふかいが、洋夷の学問まではやっていない。竜馬は、世界のことが知りたい。万里の波濤を蹴ってこの極東の列島帝国まで黒...
江戸時代の常識・風習

蛤御門の変2

幕軍の総指揮官一橋慶喜は、鷹司邸の長州人が死にものぐるいになって抵抗するのをおそれ、先述の常識に従って、「鷹司邸を焼きはらえ」と命じた。そこで、合図、桑名、一橋の兵が、手に手に松明を持って邸内に投げ入れたため、またたく間に邸は一団の炎となっ...
徳川幕府

蛤御門の変

奇襲であった。幕府は誤算した。長州藩の行動開始は十九日と見、その日を期し、戦備を整えた。その数、五万である。帝都の内外にこれだけの戦闘員があつまったのは、室町末期の応仁の乱いらいのことであった。幕府はさらに誤算した。この作戦は、やがては十五...
江戸時代の常識・風習

加賀百万石

諸藩では、軍艦、汽船、風帆船を外国から買い入れることがはやっている。ところが、買い入れても自藩では動かせない。どの藩でも、古来、御船奉行、御船方という世襲役人がいるが、和船の能力しかなく、この方面の技術者不足で弱っていた。「加賀百万石といっ...
浪人浮浪雲

藤沢の宿 首つなぎの親分

藤沢の宿場に入った時には、旅籠は軒行燈にすっかり灯が入っている。 京なまりの武士は、竜馬と藤兵衛にしつこくすすめて、とうとう同宿させた。 「土佐の高知の坂本家と申せば、ご本家の才谷屋と並んで物持ちと聞いておりますが、その御曹司がなぜ路銀にお...