竜馬がゆく

鳴門海峡

嘉永六年三月二十二日 -船が出たのは、翌る未明である。 お田鶴さまは、胴の間の一角を定紋入りの幕でかこんだ籍に入った。 「竜馬どのも、ここにいらせられますように」 とお田鶴さまは声をかけてくれたが、竜馬は 「いや」といったきり、船の上に出て...
竜馬がゆく

出立〜からたちのまじない〜

嘉永六年三月十七日 当時、土佐の高知城下では、家の者が旅にたつとき、奇妙なまじないをする。これを、 からたちのまじない というのだ。いつの頃から、はじまったものかはわからない。道中、苦難なことが多いために、ふたたび家郷へ生きて帰ることを祈る...
竜馬がゆく

大歩危

土佐の高知から江戸までの里程は、山河、海上をあわせて三百里はある。まず、旅人たちは、四国山脈の峻険を踏み越えなければ成らなかった、ー 見送りは、領石まで。というのが、城下の習慣だった。親兄弟は、送らない。親戚、知人、ざっと20人ばかりが領石...
薩摩藩

天外者 五代友厚

五代才助が竜馬の前にすわった。小男だが、鉢のひらいた頭と、するどくはねあがっとあ眉をもち、切れ長の目がいかにも利発そうである。(いい男だ。野暮ったい薩摩にもこういう男がいるのか。)竜馬はほれぼれとみた。年頃は竜馬と同じくらいらしい。「コンパ...