天外者 五代友厚

薩摩藩

五代才助が竜馬の前にすわった。
小男だが、鉢のひらいた頭と、するどくはねあがっとあ眉をもち、切れ長の目がいかにも利発そうである。
(いい男だ。野暮ったい薩摩にもこういう男がいるのか。)
竜馬はほれぼれとみた。年頃は竜馬と同じくらいらしい。
「コンパニーを考えておられるそうですな」
と、五代才助は静かにいった。

竜馬がゆく 7 P45

稀代の天外者(=凄まじい才能の持ち主)五代友厚

天保六年12月25日(1836年2月)薩摩藩に生まれる。(坂本龍馬と同い年)
22歳のときに長崎海軍伝習所に入り、航海術を学ぶ。
文久三年(1863年)六月の薩英戦争では、7月2日に3隻の藩船ごと松木洪庵(寺島宗則)と共にイギリスの捕虜になりましたが、通弁の清水卯三郎のはからいで、横浜についた頃にイギリス艦から小舟で脱出、江戸に入ります。
国もとで「イギリスの捕虜になった男」として悪評が立ち、しばらく薩摩藩には戻れませんでした。

イギリス軍上陸作戦を阻止!
「生麦事件(なまむぎじけん)」がきっかけで起った薩英戦争のさなか、五代友厚の乗船していた船ごとイギリス艦に拿捕されて捕虜となります。
イギリス艦隊司令官がは「薩摩藩に上陸する!」と計画していましたが、捕虜の五代友厚が「薩摩藩は非常に強い!このイギリス艦隊の戦力程度では勝てないので和解する方がいい」と進言します。
実際に薩摩藩との戦いで苦戦していたイギリス司令官は、五代友厚の意見を聞き入れて和解につながったと言われています。
幕末維新人物大辞典 より

英国のことを知るために、ヨーロッパに留学生を派遣することを薩摩藩に建議して採用。
慶応元年(1865年)、藩命により薩摩藩遣英使節団として英国に出発します。1867年にパリ万博の開催を知って、「薩摩藩は独立国」の資格を取りパリ万博日本ブースの横に薩摩藩ブースを出品しました。(パリ万博へ 

渡航に乗ったマドラス号は、乗船人数250名、客室30室の蒸気客船で食堂、浴室、トイレが完備されていた。洋式の便器を初めて見た五代友厚は、きれいな陶器に水が流れる便器を見て、洗面器と勘違いして顔を洗った…後に財部実行は述べている。

出典:薩摩藩英国留学生記念館

ヨーロッパの進んだ文化を見た五代は、最先端の紡績機械や武器を購入して帰国。富国強兵を薩摩藩に進言して、紡績工場を建設したりして薩摩藩の近代化を図りました。

坂本龍馬の海援隊との付き合いも始まり、大須藩所有のいろは丸を海援隊チャーター船として世話をしました。(いろは丸沈没事件
龍馬が桂小五郎へ送った手紙に「五代に火薬千金払い、小松・西郷は薩摩に帰った」(慶応2年7月27日)と薩摩藩の様子を知らせたり、三吉慎蔵宛てでも五代の活躍を知らせていました。

実業家 五代友厚

明治以降、大阪で実業家に転身。鉱山開発や鉄道建設などに関わり大阪経済発展に大きく関与します。
1874年に大阪株式取引所設立。
大阪商法会議所(現:大阪商工会議所)を設立しました。

大阪商工会議所 立像
大阪取引所

大阪会議

明治8年(1875年)2月11日に大久保利通、木戸孝允、板垣退助らが集って国政立て直しの意見の交換を行い、今後の政府の方針(立憲政治の樹立)および参議就任等の案件について協議した会議。

明治政権の方針の違いから薩長連合の閣僚が次々と職を降りて、国政が弱体化しました。
当時官界を去り大阪で実業界に入っていた井上馨は、この情勢を憂い、混迷する政局を打開するために意見交換の場を作ることにします。
前月から、大阪の五代友厚邸で大阪会議の準備会談が行われ、大久保や伊藤らが何度も訪れて下準備を詰めていきました。
大久保利通、木戸孝允、板垣退助の三者の思惑は全く別のものでしたが、大久保の相談役そして、板垣退助との仲介役としてこの不一致を穏便にまとめた五代友厚らによって大阪会議の成功へと導きました。
1ヶ月におよぶ議論の妥結を喜んだ木戸は、舞台となった料亭・加賀伊の店名を「花外楼」と改名することを提案、みずから看板を揮毫しました。

設立に関わった主要なもの
1869年(明治2年)大阪通商会社・大阪貿易会社設立。金銀分析所設立。
1870年(明治3年)大阪活版所設立 日本初の英和辞典刊行する。
薩摩藩の紡績所を堺に設立。
1873年(明治6年)西弘成館(鉱山経営の統括機関)設立、鉱山王に。
1875年(明治8年)大阪会議開催。
1876年(明治9年)堂島米商会所開業。朝陽館設立。(藍の製造工場)
1878年(明治11年)大阪株式取引所設立。
大阪商法会議所設立(後の大阪商工会議所、初代会頭)
1880年(明治13年)大阪商業講習所設立。(後の大阪市立大学)
1881年(明治14年)大阪青銅会社設立。(後の住友金属工業)関西貿易社設立。
1884年(明治17年)大阪商船開業(商船三井)

幕府や攘夷(じょうい)派から逃れるため長崎に潜伏した時期、旧グラバー住宅で知られるトーマス・ブレイク・グラバーと知り合います。今も長崎市にある国内初の西洋式の修理場、小菅修船場は、五代とグラバーが造ったものです。

2枚目俳優が演じる五代友厚

五代友厚の名前を一般の人に知らしめたのは、2015年後期(9月〜)NHK連続テレビ小説「あさが来た」でディーンフジオカ氏が演じた事でしょう。ネット上では「五代ロス」という言葉も生まれました。
放送時、アジア圏で役者として活躍していましたが、日本ではまだあまり知られていなかったディーンフジオカ氏は“五代様ブーム”も評価され、翌年のザテレビジョン特別賞を受賞。日本のトップ俳優になりました。

三浦春馬が五代友厚役で主演する映画『天外者』は、2020年12月11日に公開。近代日本経済の基礎を構築し、稀代の天外者(=凄まじい才能の持ち主)と呼ばれた五代友厚の生涯を描きました。
公開前の7月に亡くなった三浦春馬自身初の時代劇主演映画。

第60作NHK大河ドラマ(2021年度)『青天を衝け』(せいてんをつけ)は、「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一を主人公に[3]、江戸時代末期(幕末)から昭和初期までを描きました。
「東の渋沢・西の五代」で主演の吉沢亮に対して五代友厚を再びディーンフジオカ氏が演じました。