1867-04

土佐藩

いろは丸沈没事件

操舵室に、竜馬の時計がある。その針が、十一時を指した。そのとき海面がにわかに盛りあがって、くろぐろとした巨影が船の正面にあらわれた。(島か?)当直士官の水戸脱藩佐柳高次はとっさにおもった。船の針路は、あいかわらず東・一点南である。右舷には讃...
江戸時代の常識・風習

柳馬場蛸薬師

中岡はいま町屋の密集した柳馬場蛸薬師の借家に、薩摩藩士横山勘蔵という変名で住んでいる。竜馬が行く 8 P64 柳馬場通りは、京都御所南側の丸太町通から塩竈町まで約2.3kmのまっすぐ縦断した通りです。豊臣秀吉肝いりの当時日本一の遊郭『二条柳...