長崎丸山・花月

文化人教養人

その夜、竜馬は、丸山であそんだ。
丸山は、江戸の吉原、京の島原とならんで日本三大遊里のひとつにかぞえられたところである。
思案橋のたもとに紅燈がゆれ、柳が数本、灯影にあざやかなみどりをたらしている。その橋をわたれば、すでに絃歌のちまたであった。道は、長崎ふうの石だたみになっている。竜馬はそのいしだたみをみながら、
(これはたいしたもんじゃ)
と、目をきょろきょろさせた。軒をならべる大厦高楼のあかりは、ひるのようにまばゆい。店によっては、無尽灯というランプを燈火にもちいているところも多く、吉原や島原とちがい、どこか異国のにおいをもっているところがいかにも長崎の遊里らしかった。

案内されたのは、頼山陽などもあそんだ引田屋という楼だった。丸山随一の花楼で、現在では「花月」という屋号にかわり、史蹟に指定され、竜馬が酔ったあげくにつけた床柱の刀傷まで保存されている。

竜馬がゆく6 P186

絃歌:三味線を弾き鳴らし、歌をうたうこと。遊興のようすをいう。「―の巷 (ちまた) 」

和華蘭文化

日本の「和」清(中国/中華圏)の「華」オランダ・ポルトガルの「蘭」をあわせた「和華蘭文化(わからんぶんか)」は、江戸期に唯一外交の窓口になった長崎独自の文化です。

花月には、オランダから輸入された日本初の床に貼られたオランダタイルを貼った「日本初の洋間」があり、天井や窓枠、庭の景色含めて和華蘭文化の一室となっています。
坂本龍馬もこの部屋を気に入り、商談の折に使っていました。

世界ふしぎ発見2022.5.4 龍馬聖地巡礼

花月と幕末志士

2階の大広間「竜の間」には坂本龍馬が切りつけたと伝わる床柱の刀傷があり、「月の間」は勝海舟が利用した部屋として残されております。日本庭園の池には、岩崎彌太郎が酔って落ちたことを自身の日記に書き残しているなど、花月には幕末の志士が残したエピソードが今も息づいております。

花月サイトより https://www.ryoutei-kagetsu.co.jp/about/

現在の日本各地にある中華街よりさらに古い清の時代から生活に取り入れていた長崎だから、ちゃんぽんなどの食や建物に色濃く「華」の文化が反映されています。

スペインやポルトガルから伝わったと言われる長崎カステラはあまりにも有名です。
カステラはもともと、スペインのカスティーリャ王国で生まれたお菓子。ポルトガル語ではカスティーリャのことを「カステラ」と発音していました。

ポルトガル語の「Confeito」から名付けた金平糖は、元々はあまり角のない菓子でしたが、日本独自の技術でトゲトゲを際立たせた日本菓子になりました。

江戸期の時代劇の一コマに「あの先生は長崎で”蘭学”を学んでこられた名医です!」と出るぐらい、当時の最先端の技術やトレンドは長崎にありました。