土佐藩後藤象二郎 「おれも切羽詰まった」と、竜馬は、カマチに腰を下ろした。竜馬はわざとことばを誇張させて、「土佐藩と手を握りたくなった。へんぺんたるわれら郷士の感情は、あたらしい日本の築きあげのためには捨てねばならぬ。俺はそう思った。」竜馬は、カマチの上であ...1867.06.09土佐藩
土佐藩いろは丸沈没事件 操舵室に、竜馬の時計がある。その針が、十一時を指した。そのとき海面がにわかに盛りあがって、くろぐろとした巨影が船の正面にあらわれた。(島か?)当直士官の水戸脱藩佐柳高次はとっさにおもった。船の針路は、あいかわらず東・一点南である。右舷には讃...1867.04.23土佐藩
土佐藩西郷隆盛と龍馬 とにかく西郷は竜馬を(今まで見たことのない型のやつだな)とおもった。竜馬も同じことを思った。論理(ロジック)が、けんらんたる逆説にみちている。竜馬は、「大奸智・無欲の人」たらんとし、西郷は、「大至誠にして欲を去ろう」とした。竜馬にいわせれば...1864.08.21土佐藩薩摩藩
土佐藩武市半平太 投獄 「武市半平太」とあらためて声をかけ声をかけ、藩命を読み上げた。「右の者、京都に対し奉りそのままにしておきたがし。その余、ご不審のかどこれあり。 追って、あがりや(士分の牢)入りおおせつけられ候事」武市は平伏して命を奉じ、顔を上げて、「まだ朝...1863.09.21土佐藩竜馬がゆく
土佐藩勤王党切腹一号 竜馬は、間崎、平井、弘瀬の切腹の報をうけたとき、ーこれぁ、武市の勤王党は瓦解するな。と直覚した。「たれかしっちょる者はおらんかぁ。国もとで間崎らが切腹したそうじゃのうぉ。教えてくれんかねぇ」「中島作太郎と申します。国許での間崎先生らの一件、...1863.07.23土佐藩江戸時代の常識・風習竜馬がゆく
土佐藩龍馬、四天王寺の果たし合い 事件がおこったのは、それから数日のちである。早朝、竜馬が自室で朝飯を食っていると、陸奥陽之助が、例の無愛想な美少年づらであらわれた。「坂本さん、あなたは北辰一刀流の名人だと聞きましたが、ほんとうですか」「朝っぱらから、何を言いやがる」〜〜「...1863.06.01土佐藩