土佐藩

土佐藩

乾退助

少年のころ、城下では喧嘩退助といわれた若者だ。高知中島町に屋敷を持つ三百石の上士の子で、早くから「上士の子であれほど乱暴なやつはいない」といわれた。例の暗殺された吉田東洋が参政になったとき若くして免奉行になり、さらに東洋の死後は、江戸に出て...
土佐藩

ちょっと用足し 井口村刃傷事件 その後

午後になって、飛び込んできた数人の気の荒い軽格連中が、「坂本さん、いよいよ戦さじゃぞっ」と叫んだ。「なぜじゃ」「上士の連中が、死んだ鬼山田の屋敷に集結していて、池田寅之進の屋敷に斬り込もうとしている。すぐ池田屋敷に来てくれ。総大将のあんたが...
土佐藩

鬼山田 井口村刃傷事件1

その日は、三月四日。雛の節句である。土佐藩では、この日、上士が総登城して、殿様から御酒をいただく慣習がある。その夜。午後8時頃であったらしい。城下がひっくり返るような刃傷事件がおこった。上士に、「鬼山田」といわれた一刀流の刺客がある。名は、...
土佐藩

武市半平太 投獄

武市瑞山(半平太)獄中自画像アレンジ 「武市半平太」とあらためて声をかけ声をかけ、藩命を読み上げた。「右の者、京都に対し奉りそのままにしておきたがし。その余、ご不審のかどこれあり。 追って、あがりや(士分の牢)入りおおせつけられ候事」武市は...
土佐藩

勤王党切腹一号

竜馬は、間崎、平井、弘瀬の切腹の報をうけたとき、ーこれぁ、武市の勤王党は瓦解するな。と直覚した。「たれかしっちょる者はおらんかぁ。国もとで間崎らが切腹したそうじゃのうぉ。教えてくれんかねぇ」「中島作太郎と申します。国許での間崎先生らの一件、...
土佐藩

坂本伊與

正月三日は家で過ごし、その後は、知人の家を訪ね歩いた。 友人とは入っても、一番気が合う武市半平太は江戸に戻っていたので、あとはそれほど気の合うものはいなかった。 竜馬がゆく 1巻 坂本伊與 文化元年(1804年) – 慶応元年10月21日(...