土佐藩

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坂本伊與

正月三日は家で過ごし、その後は、知人の家を訪ね歩いた。 友人とは入っても、一番気が合う武市半平太は江戸に戻っていたので、あとはそれほど気の合うものはいなかった。 竜馬がゆく 1巻 坂本伊與 文化元年(1804年) – 慶応元年10月21日(...
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べこのかあ

「なんじゃ、坂本。そのかっこうは。人を嘲斎坊(ちょうさいぼう)にしくさるか」「おれは、べこのかぁじゃけんのう。べこのかあがべこのかあどもを退治するのは、この格好が一番えぇ」「ちぇっ、この べこのかあぁ」せまい部屋に土佐言葉の罵声がはんらんし...
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後藤象二郎

「おれも切羽詰まった」と、竜馬は、カマチに腰を下ろした。竜馬はわざとことばを誇張させて、「土佐藩と手を握りたくなった。へんぺんたるわれら郷士の感情は、あたらしい日本の築きあげのためには捨てねばならぬ。俺はそう思った。」竜馬は、カマチの上であ...
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いろは丸沈没事件

操舵室に、竜馬の時計がある。その針が、十一時を指した。そのとき海面がにわかに盛りあがって、くろぐろとした巨影が船の正面にあらわれた。(島か?)当直士官の水戸脱藩佐柳高次はとっさにおもった。船の針路は、あいかわらず東・一点南である。右舷には讃...
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岡上新輔(樹庵)

安政元年十一月二十八日 「あら、竜馬」乙女は嬉々とした声をあげた。「今度の地震でかえってきたのですね」ほどなく、義兄の岡上新輔が戻ってきた。「きちょったか」「どうせしばらく江戸には戻らんのじゃろ。乙女、うんと馳走してやれ」「サーチ」「サーチ...
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東洋暗殺

東洋、亥の刻(夜十時)、お城を退出。「いや、酔った」と、御殿の玄関で若党がさしだす傘をうけとり、ぱらりとひらいた。石段をおりるとき、東洋の身を守るようにして、数人の若い武士が前後した。きょうの進講の陪席者たちであった。後藤象二郎、市原八郎左...