土佐藩

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岩崎弥太郎

安政四年十月十日 土佐安芸郡に井ノ口村という村がある。 「室戸へ行くなら、途中、岩崎弥次郎、弥太郎の様子を見舞ってやれ」と権平が言った。 地下浪人の岩崎家とは薄い縁に繋がっているらしい。地下浪人とは土佐にある武士の一種で郷士がその株を他人に...
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謀者竜馬の帰還

嘉永七年三月二十五日 品川藩邸 竜馬は、土佐藩の品川陣地に戻って、桂小五郎からきいた長州陣地の模様を詳しく報告した。 しかし家老の山田八右衛門は、 「ああ、そうか」といったきりである。 二百数十年も、藩の貴族階級の位置に座り続けると、ついに...
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出立の準備

安政三年十月七日 竜馬の故郷滞在は意外にながびき、高知を発つ準備をし始めたのは晩秋になっていた。 城下を立つひと月前には、親戚縁者知人への挨拶回りに謀殺された。最後は福岡家だった。 福岡家のお田鶴様と竜馬の仲が怪しいと城下では評判になってい...
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容堂 入洛(じゅらく)

土佐の老公容堂が、いよいよ藩政の直接指揮をすることになり、京に入った。伊達な殿様なのだ。容堂の入洛を見た祇園の芸妓たちは、ー老公云々と世間でいうので、どんな爺ィかと思っていたら、いい男じゃないか。といったほどである。事実、容堂の入京の姿は、...
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高麗橋_岡田以蔵

嘉永六年三月二十四日 暗い。提灯を持たない竜馬は、橋の欄干に身をすり寄せるように歩いた。「おい」と声を殺して呼びかけたものがある。あっと竜馬は前へ飛んだ。はかまの裾が切り裂かれたのが、足の感触でわかった。龍馬は、じりじりとさがって、橋のたも...
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坂本家_坂本権平

お国帰り 竜馬は、寝待ノ藤兵衛とわかれて、単身土佐へ帰った。 藤兵衛が国もとまでついてこなかったのは遠慮したのである。-あっしみてえなのがお供について帰っちゃ、せっかくのお国帰りの錦がよごれます。========= 竜馬にとって、江戸出発以...