土佐藩近藤長次郎2 蘭学者翌日、饅頭屋がたずねてきて、おなじ蓮池町に住む長崎帰りの医者のもとにつれて行った。=========蘭学者は、ねずみのような顔をしていた。この蓮池町の蘭学者の名前は、残念ながら残っていない。=========ねずみの翻訳は、なかなか面... 1859.08.11土佐藩
土佐藩土佐気質 安政元年十二月一日翌々日高知の屋敷に帰った。田舎は想像つかないほど物見高い。毎日ひとが訪ねてきた。竜馬の家では、父の八平が、知らんもんでもええからあげて酒を飲ませちゃれ。と命じていたから、ひどいのになると、酒だけ飲みに来た。父の八平も「もう... 1854.12.01土佐藩
土佐藩佐久間象三に学ぶ 嘉永六年十二月一日その年も暮れた。memo 佐久間象三1853年12月1日、坂本龍馬は、佐久間象三の門を叩き、砲術を学ぶ。1840年のアヘン戦争で清国の敗北に驚愕した徳川幕府は、老中真田幸貫に海防掛を命じる。その折、佐久間象三が、洋学研究者... 1853.12.01土佐藩文化人教養人
土佐藩わしは、雑兵じゃな 嘉永六年六月四日 土佐藩邸第一夜の指示は、待機。ほかに指示といえば、竜馬たち江戸遊学の諸生も臨時藩兵としてさし入れられたぐらいのことである。これで江戸における土佐の藩兵は四百人に成る。「わしは、雑兵じゃな」ところが、武市半平太も雑兵であった... 1853.06.04土佐藩徳川幕府
土佐藩あぎ 嘉永六年四月十七日竜馬は江戸に入ると、まっすぐに内桜田の鍛冶場御門へゆき、土佐藩下屋敷で草鞋を脱いだ。藩邸ではよく心得ていて、泊まるべき長屋に案内してくれた。相住まいの者が一人いると言う。見回してみると、掃除が行き届いている。こう言う相住ま... 1853.04.17土佐藩竜馬がゆく
土佐藩近藤 長次郎 まんじゅう屋蓮池町の河田邸というのは、小さなせせこましい家で、そこにはいつも画学生が五、六人はたむろしている。その一人が、取りつぎに出た。「あっ、これは坂本さま」と、大きなまんじゅう鼻をひろげた。べちゃ鼻の多い土佐陣にしてはめずらしく鼻が大... 1859.08.10土佐藩