土佐藩沢村惣之丞と脱藩 武市一派の東洋暗殺にさきだつ十四日前の文久二年三月二四日、闇にまぎれて脱藩してしまっていた。兄の権平は、気が小さいくせに、生来ののんき者だ。五日ばかり経ってから、「のう、お栄。ちかごろ屋敷に竜馬めの姿がみえんが、どこへ泊まりあるいちょるかの... 1862.03.24土佐藩竜馬がゆく
土佐藩吉村 寅太郎 シジツカン 「やはり歴史を読め」といった。武市の説では、歴史こそ教養の基礎だというのである。========= 「史書か。そうか。しかし、日本外史とか史記とかいうもんは、乙女あねの講義でさんざんに読まされたぞ。」「では、シジツカンを読め」「... 1858.11.05土佐藩
土佐藩吉村寅太郎 夜陰、吉村寅太郎は坂本屋敷をたずねてきて、「竜馬ぁ、一大事じゃ。もはや男子の進退覚悟すべきときがきよったぞ」と、いった。そのあと、低声になった。竜馬の兄の権平の耳に入るとうるさいと思ったらしい。吉村寅太郎はひげの剃りあとの青い小兵な男で、詩... 1862.03.17土佐藩竜馬がゆく
土佐藩三津浜 文久元年 村上海賊,九鬼水軍 伊予の三津浜から長州藩領には定期便船というものがない。長州船の面倒を見ている三津浜の廻船問屋では、荷船だからどうしてもだめだ、という。やむなく、じかに船頭にあたって見たところ、その「住吉丸」という船の船頭が、「... 1861.12.09土佐藩竜馬がゆく
土佐藩竜馬 勤王党に参加 文久元年九月 武市の頰は紅潮した。「倒幕実施は明年。時を期し、歩武をそろえ、三藩の兵大挙して京都に集結し、天皇を奉戴していっせいに勤王の義軍をあげる。そのためには、それぞれ自藩に帰って重役を説き藩論を勤王倒幕へまとめる」 「故に衆の力でやろ... 1861.09.04土佐藩竜馬がゆく
土佐藩蘭学通、竜馬 蘭学通、竜馬 そのうち、絵師の河田小竜のほうから、饅頭屋長次郎を使者にして、竜馬のもとに、「会いたい」といってきた。使者の饅頭屋は苦笑していった。「あんたは、蘭学通じゃという評判が城下にたっっちょります。河田小竜先生がそれほどの学者ならこち... 1859.08.20土佐藩竜馬がゆく