吉村 寅太郎

土佐藩
シジツカン

「やはり歴史を読め」
といった。武市の説では、歴史こそ教養の基礎だというのである。
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「史書か。そうか。しかし、日本外史とか史記とかいうもんは、乙女あねの講義でさんざんに読まされたぞ。」
「では、シジツカンを読め」
「なんじゃそれは」
「資実通艦じゃ。」中国の史書である。
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「よし、そのシジツカンを読む」
「読めるか、訳註をしてくれる師匠が要るぞ」
「師匠?」
竜馬はあきれた。
「そんなものが要るのか」
「要るとも。おれがなってやろうか」
「半平太づれに」

吉村 寅太郎 土佐藩志士

よしむら とらたろう
天保8年4月18日(1837年5月22日) 文久3年9月27日(1863年11月8日)

幕末の土佐藩出身の志士。諱は重郷。土佐藩の庄屋であったが尊攘思想に傾倒して土佐勤王党に加盟。平野国臣らが画策する浪士蜂起計画(伏見義挙)に参加すべく脱藩するが、寺田屋事件で捕縛されて土佐に送還され投獄される。釈放後、再び京都へ上り孝明天皇の大和行幸の先駆けとなるべく中山忠光を擁立して天誅組を組織して大和国で挙兵するが、八月十八日の政変で情勢が一変して幕府軍の攻撃を受け敗れて戦死した。(天誅組の変)

安政4年(1857年)藩の下役人に呼び捨てにされたことを憤り、他の大庄屋と連名で訴状を提出する騒ぎを起こした。この事件のために下分村に転任させられている。安政6年(1859年)に檮原村の大庄屋に移り、よく働き治績を残したという。
漫画・アニメの「お〜い!竜馬」にも描かれる

辞世の句は「吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ」