土佐藩

西郷隆盛と龍馬

とにかく西郷は竜馬を(今まで見たことのない型のやつだな)とおもった。竜馬も同じことを思った。論理(ロジック)が、けんらんたる逆説にみちている。竜馬は、「大奸智・無欲の人」たらんとし、西郷は、「大至誠にして欲を去ろう」とした。竜馬にいわせれば...
幕末の女性

大山捨松

大山捨松 会津戦争で凄惨な現場を目の当たりにする 会津藩重臣・山川尚江重固(ながえしげかた)の2男5女の末娘として生まれ、幼名は咲子と名付けられました。幕末の騒乱が高まった慶応4年/明治元年(1868年)。薩長連合の明治新政府軍が幕府軍を負...
土佐藩

乾退助

少年のころ、城下では喧嘩退助といわれた若者だ。高知中島町に屋敷を持つ三百石の上士の子で、早くから「上士の子であれほど乱暴なやつはいない」といわれた。例の暗殺された吉田東洋が参政になったとき若くして免奉行になり、さらに東洋の死後は、江戸に出て...
幕末の女性

津田梅子

(不幸だな)と、竜馬はおもった。乙女の鬱屈が、であった。それほどの自分をかかえて、いささかもその自分を行動で表現することなく、実家の奥の一室でむなしく歳月を消費しつづけてゆかねばならないのはよほどつらいことにちがいない。 竜馬が行く8 p1...
長州藩

伊藤博文

伊藤博文 井上は上士階級の出身だが、伊藤俊輔は下士階級でさえない。百姓の出で、年少のころに侍屋敷の走りづかいなどし、たまたま隣家の子弟だった吉田稔麿(池田屋の変で闘死)がこの男を愛し、故吉田松陰のもとにつれて行った。「俊輔、周旋の才あり」と...
文化人教養人

幕末の武士道 猫久

お田鶴さまがいうには、要するに竜馬がはがゆいのである。長州藩の攘夷さきがけとともに、天下はいよいよ騒然としてきた。そのなかにあって竜馬はいったい何をしているのか。「まあ、お田鶴さま、ながい眼でみてくだされ。天下の有志が、京に集まって騒いでい...
江戸落語の世界(芸能・娯楽)

三十石船 桂文枝

船が天満八軒屋から五里さかのぼって河州枚方についた時は、一番鶏の声が聞こえてきた。目が覚めた時には天がほのかに白み始めている。「どこかね、ここは」男は黙っている。旅の行商人風の男で、ひどく背が低いが顔は不釣り合いに大きい。「あんた、耳がない...
幕末の女性

寺田屋お登勢

「じゃ、その薩長連合を遂げれば」とお登勢が思わず膝をすすめると、竜馬は手で制し、「おいおい、声が大きすぎる。近所に聞こえるわぃ」といった。「きこえやしませんよ。ここは2階だし、ご近所はもう寝静まっていますから」「軒下を幕府の偵使が歩いちょる...