諸外国

江戸落語の世界(芸能・娯楽)

ペリー再来_百川

去年にやってきたアメリカのペリー総督が、正月の十四日、ふたたび艦隊をひきいて再来し、さきに幕府に呈上した通商開港に関する国書の返答をきびしく要求しはじめたため、諸藩の沿岸警備隊は再び臨戦状態に入り、竜馬も黒船が去るまでのあいだ、築地の藩邸に...
徳川幕府

徳川斉昭のペリー暗殺計画

この年三月、竜馬は築地屋敷から品川屋敷に移され、台場の警備を命ぜられた。むろん書生の分際だから、竜馬が自嘲する「雑兵」である。ペリー艦隊は、どうゆうわけかなお去らず、艦砲を陸上に向けたまま無言の威圧を加えている。諸藩の陣地は緊張しきっていた...
江戸時代の常識・風習

プチャーチンの遭難

「坂本さん、どうなされたのです。」千葉道場に戻ると、みな竜馬を見て驚いた。この地震騒ぎの中、女をおぶっている。「この女は深川まで帰るのだが、この騒ぎ、明け方まで預かってくれんか。藩邸の様子を見て来る」鍛冶橋屋敷について様子を聞くと、御門の瓦...
諸外国

英国公使館焼き討ち

江戸桜田の長州藩邸にいる同藩の過激有志の旗がしら高杉晋作が、「薩摩藩が、生麦で夷人を斬って天下の攘夷のさきがけをした。長州藩たるものがそれに負けていてはならぬ」と、同志に説いた。高杉のいうところでは薩摩藩に勝つにはもっと大きなことをやらなけ...
諸外国

グラバー商会

翌日、軍艦買いつけに出かけた。「どこで買うのであります?」と、俊輔は饅頭屋に聞いた。饅頭屋は得意そうに、「大浦海岸でござるよ」大浦海岸には、欧米の貿易商人の商館がずらりとならんでいる。「英国人で、グラバーという者です。大浦海岸最大の商館で、...
幕末の女性

馬関戦争

のちに明治陸軍の創設者の一人になった山縣有朋、当時まだ若かった足軽上がりの山形狂介が、壇ノ浦砲台の隊長になり、眼前に展開する西洋艦隊を見ながら、酒樽十丁のカガミをポンポンと抜き、「さあ、何はなくとも眼下に並んだ夷艦十八隻、あれを肴にぞんぶん...