幕末の女性津田梅子 (不幸だな)と、竜馬はおもった。乙女の鬱屈が、であった。それほどの自分をかかえて、いささかもその自分を行動で表現することなく、実家の奥の一室でむなしく歳月を消費しつづけてゆかねばならないのはよほどつらいことにちがいない。 竜馬が行く8 p... 1864.12.03幕末の女性文化人教養人
江戸落語の世界(芸能・娯楽)船宿_骨釣り その日の夕刻藤兵衛のなじみらしい堀江町の船宿で酒を飲んでいた。鍛冶町の藩邸をでて千葉道場に戻る途中に船宿の者に呼び止められ、ちょき船に乗って連れてこられた。家並みに灯がともる頃、やっとふすまが開いた「藤兵衛か」「冴でございます」「………」(... 1854.10.14江戸落語の世界(芸能・娯楽)
江戸落語の世界(芸能・娯楽)門付け・軒付け 「なんだえ、あれは」と通行人が目を見張って竜馬らをみてゆく。先頭をゆく竜馬は、左手をふところ手。それが鼻歌でカンカン踊りの文句を歌ってゆく。 うしろのおりょうが、まさか月琴を伴奏してゆくわけではないが、とにもかくにも月琴を抱えているために、... 1864.08.01江戸落語の世界(芸能・娯楽)
土佐藩乾退助 少年のころ、城下では喧嘩退助といわれた若者だ。高知中島町に屋敷を持つ三百石の上士の子で、早くから「上士の子であれほど乱暴なやつはいない」といわれた。例の暗殺された吉田東洋が参政になったとき若くして免奉行になり、さらに東洋の死後は、江戸に出て... 1862.09.11土佐藩
長州藩伊藤博文 伊藤博文 井上は上士階級の出身だが、伊藤俊輔は下士階級でさえない。百姓の出で、年少のころに侍屋敷の走りづかいなどし、たまたま隣家の子弟だった吉田稔麿(池田屋の変で闘死)がこの男を愛し、故吉田松陰のもとにつれて行った。「俊輔、周旋の才あり」と... 1865.06.24長州藩
文化人教養人幕末の武士道 猫久 お田鶴さまがいうには、要するに竜馬がはがゆいのである。長州藩の攘夷さきがけとともに、天下はいよいよ騒然としてきた。そのなかにあって竜馬はいったい何をしているのか。「まあ、お田鶴さま、ながい眼でみてくだされ。天下の有志が、京に集まって騒いでい... 1864.03.12文化人教養人江戸落語の世界(芸能・娯楽)