嘉永六年四月十七日
竜馬は江戸に入ると、まっすぐに内桜田の鍛冶場御門へゆき、土佐藩下屋敷で草鞋を脱いだ。藩邸ではよく心得ていて、泊まるべき長屋に案内してくれた。
相住まいの者が一人いると言う。見回してみると、掃除が行き届いている。こう言う相住まいの相手は苦手だ。
「相住まいはどなたです」
「坂本さんより六つ上の二十五」
「郷士ですな?」
「いや、違った。白札です」
龍馬はにがい顔でうなずき、
「その仁は、色が白く、あぎが張っていますな。あぎが魚ににちょるでしょう」
「にちょります」若侍が吹き出し、
「似ちょりますが、安魚ではない。大魚です。土佐国長岡郡仁井田郷吹井の生まれ。」
(やはり、武市半平太じゃな)
memo 武市半平太
尊王攘夷を実現するために土佐勤王党を結成する土佐藩のリーダー
1829年生まれ(龍馬の約6歳上)
瑞山(号)
土佐の白札の家に生まれる。文武に優れ、剣術は江戸で鏡新明智流の免許皆伝。
尊王攘夷の風が吹き始めると「一藩勤王」を掲げ土佐勤王党を立ち上げ、2000人もの同志を集める。
人望が厚く嫁を大事にした表の顔と、勤王のために邪魔な人物への暗殺を認める二つの顔を持っていた。
龍馬とは「あご」「あぎ」と呼び合う仲