大歩危

竜馬がゆく

土佐の高知から江戸までの里程は、山河、海上をあわせて三百里はある。まず、旅人たちは、四国山脈の峻険を踏み越えなければ成らなかった、
ー 見送りは、領石まで。
というのが、城下の習慣だった。親兄弟は、送らない。親戚、知人、ざっと20人ばかりが領石まで見送った。
手のかかる変わりもんじゃ」領石のちかくまで来ると、また姿が見えなかった。さがしてみると勝手に見知らぬ家に上がり込んでいた。
竜馬が立ち上がると、旅の僧が声をかけた。
「異相だな。眉間に不思議な光芒がある。将来、たった一人で天下を変貌させるお方じゃ」
「嘘をつけ。わしは、剣術師匠になる。この重い撃剣道具を見ろ」
道中、晴天が続いている。
龍馬は、阿波ざかいのいくつかの峠をこえて、吉野川上流の渓谷にわけ入った。地形は複雑で、途中、大歩危小歩危などの難所があり、ときに1日歩き続けても人影を見ない。

龍馬がゆく1

旅の七つ道具

江戸時代には、駕籠や馬などの乗り物はありましたが、旅行の交通手段は徒歩でした。
そのため、最小限度のコンパクトな旅道具を準備しました。

小田原提灯・火切り金

夜歩きになると街灯もないので、提灯が必要。東海道の小田原で売られたのが発祥と言われる小田原提灯はコンパクトに折りたためて柄もその中に収まりました。
ロウソクに付ける火力も必要なので、火打ち石を携帯するか、種火を保存できる携帯用火切り金も併せて持っていました。

燭台・まくら

宿屋では満足いく設備がない場合もあります。
灯りを用意した宿屋もありましたが、宿場で使う個人用の携帯用根付型燭台も持ち歩いていて、小さく収納して組み立て式でした。
髷を結っているので寝る時用のマイ枕・木製の組み立て式高枕を準備する人もありました。

印籠

(昭和では)水戸黄門でおなじみの印籠は、印鑑・朱肉を携帯する容れ物でしたが、流用して自分用に必要な薬を携帯しました。

ひょうたん・腰弁当

自販機などない時代で、次の宿場までの飲み水は必需品。ひょうたんや、竹筒を使った水筒を携帯していました。
泊まった宿で準備してもらったおにぎりなどを竹の皮や竹かごで作った携帯用の弁当箱を腰にぶら下げました。 

干し飯
非常食も準備していて、米を蒸して乾燥させた食料・干し飯は、古代には戦の兵糧として準備していました。江戸時代の荷物として、万一の食料や宿場までのおやつなどにしました。

時計

時刻や、方位を確認するために、携帯用の日時計が開発されて時計として活用していました。
太陽の出ている間を6等分して時間を計る江戸時代の方式なので、太陽の高さと方向が分かれば時間が読めます。磁石とセットになって方向を確認して時間を計ります。

早道

旅行のお金は大切なもの。盗まれたり落としたりしては、人に借りることもできません。
旅の途中で使う小銭を分けて入れておく財布を「早道」と呼びました。

矢立て

旅の思い出や、メモ好きの人は携帯筆記具を持っていました。
長い柄に筆と、丸い炭の容器がセットになった矢立は、携帯筆記用具でガラス万年筆のように使いました。

大歩危

坂本龍馬が辿ったのは、高知から徳島県鳴門に向けての山越えの旅程です。
四国の真ん中には、日本百名山の中でも険しさで名を馳せる「剣山」をはじめとした連山が大きく横切っています。名前のユニークさで有名な大歩危・小歩危や、平家の落武者の隠れ里が住んでいると言われる土地もあり、山深いところです。
ちなみに大歩危は、民俗学者 柳田国男氏が編集した「妖怪名彙」のほか、水木しげる氏の漫画「ゲゲゲの鬼太郎」にも登場する有名な妖怪「子泣き爺」の故郷としても有名なんですね。

高知から鳴門に向かう道には、四国八十八ヶ所巡りで通る海沿いの「土佐東街道」もあります。

イメージ/祖谷山村かずら橋