竜馬がゆく

江戸時代の常識・風習

蛤御門の変2

幕軍の総指揮官一橋慶喜は、鷹司邸の長州人が死にものぐるいになって抵抗するのをおそれ、先述の常識に従って、「鷹司邸を焼きはらえ」と命じた。そこで、合図、桑名、一橋の兵が、手に手に松明を持って邸内に投げ入れたため、またたく間に邸は一団の炎となっ...
徳川幕府

蛤御門の変

奇襲であった。幕府は誤算した。長州藩の行動開始は十九日と見、その日を期し、戦備を整えた。その数、五万である。帝都の内外にこれだけの戦闘員があつまったのは、室町末期の応仁の乱いらいのことであった。幕府はさらに誤算した。この作戦は、やがては十五...
江戸時代の常識・風習

加賀百万石

諸藩では、軍艦、汽船、風帆船を外国から買い入れることがはやっている。ところが、買い入れても自藩では動かせない。どの藩でも、古来、御船奉行、御船方という世襲役人がいるが、和船の能力しかなく、この方面の技術者不足で弱っていた。「加賀百万石といっ...
江戸時代の常識・風習

藤兵衛

安政三年 十一月二十日 千葉道場の竜馬の所にめずらしい客が来た。寝待の藤兵衛だ。 「何の用だ」 「用ってもんじゃねえんですが、一つは旦那の顔を見たさと、もう一つは、旦那にその気があれば頼みたい事が」 「断るよ。お前の頼みは、変な女を押し付け...
江戸時代の常識・風習

ボヤ騒ぎ_防災

嘉永七年十一月二日 夕刻、土佐藩の鍛冶橋屋敷から火が出た。道場にいた竜馬は急いで身支度をし駆けつけるとすでに火が消えている。 「幸い作事小屋のカンナ屑が燃えたところで消し止めました」 「それぁよかった」その時パラパラと雨が降って来た。 「傘...
江戸時代の常識・風習

三十本勝負_八百長

嘉永七年十月十六日 竜馬と重太郎は、道場の東西からそれぞれ竹刀を携げて中央に進み出てきた。 (この勝負、一本も竜馬に譲れぬぞ)重太郎は、下段に取った。 切っ先がセキレイの尾のように動いている。これが北辰一刀流の特徴であった。 竜馬は大上段で...