藤兵衛

江戸時代の常識・風習

安政三年 十一月二十日

千葉道場の竜馬の所にめずらしい客が来た。寝待の藤兵衛だ。
「何の用だ」
「用ってもんじゃねえんですが、一つは旦那の顔を見たさと、もう一つは、旦那にその気があれば頼みたい事が」
「断るよ。お前の頼みは、変な女を押し付けたり」
「あぁ、お冴えのことですか。あの女は死にましたよ。昨年の夏の、例のコロリ(コレラ)でさ。無縁仏になっちまったから、関わりのある和尚に戒名つけてもらい永代供養をたのんであります」
「いやに仏臭くなったな。」
「最近どうも焼きが回ったんで、今の仕事が嫌になった。そこで、今の家業をすっぱり足を洗って、この際きれいに旦那の子分にしてもらいてぇ」
「断るよ。むかし源義経は、泥棒の伊勢三郎義盛を家来にしたそうだが、おれにそんな道楽はない」
「何も養ってくれじゃない。旦那が偉くなるまで、ただでお仕え申し上げようと」
「勝手にしろ」
「ありがてぇ。きっと役に立ちますぜ」

memo 日本の棺(ひつぎ)

日本古来は、寝た状態の棺で土葬されていたが、室町時代に禅宗の僧が禅を組んだまま入れる棺を使ったことから、座棺(ざかん)が用いられるようになった。
座棺は四角い箱の形状。
禅宗の武士が座棺で埋葬されるようになり、他の宗派に広まっていった。
江戸時代により簡単に製造できる形状の円形で樽や桶の形状の棺、いわゆる早桶が主流になった。

ひつぎのおけ から、棺桶の名称が生まれた。

火葬もあったが、土葬が主流で、多くの場合は墓はなく、卒塔婆を立てただけの簡素なものだった。