三十本勝負_八百長

江戸時代の常識・風習

嘉永七年十月十六日

竜馬と重太郎は、道場の東西からそれぞれ竹刀を携げて中央に進み出てきた。

(この勝負、一本も竜馬に譲れぬぞ)重太郎は、下段に取った。
切っ先がセキレイの尾のように動いている。これが北辰一刀流の特徴であった。
竜馬は大上段である。

「やあ」重太郎が誘った。その誘いに乗ったが如く竜馬は剣を青眼に変じたが、重太郎はすかさず踏み込んで竜馬の剣を叩き、さらに巻き上げて構えを崩しさらに手元も見せぬ早業で「だぁ」と猛烈な突きを入れた。
叫びを上げたのは意外にも千葉重太郎。三間向こうに注を飛んで跳ね飛ばされた。

ところがその後が良くない。つづけさまに二十八本取られた。

「如何(いかん)」竜馬が威圧するように吠えた。
重太郎がとっさに身構えた時に竜馬の気配が変幻して(面か)と拳を上げた瞬間、竜馬が飛び込み巨砲のような突きが殺到し、重太郎の体は再び仰向けに転がった。

memo 八百長

『八百屋の長兵衛、通称八百長という人がある相撲の年寄とよく碁をうち、勝てる腕前を持ちながら、巧みにあしらって常に一勝一敗になるように手加減したところからという』

八百長が相撲関連からできた符丁というのは有名です。

諸説1)
明治時代に、大相撲の伊勢ノ海親方(初代伊勢ノ海五太夫とも、7代伊勢ノ海宗五郎の説あり)に出入りしていた八百屋の長兵衛が、囲碁を打つ間柄となった。取引先の親方の機嫌を損ねない程度に互角の勝負になるようにしていた。
しかしこの長兵衛さんが、回向院近くの碁会所で棋士の20世本因坊秀元に対し本気で挑んで互角に勝負をしていたことがわかった。
今までわざと手加減をして負けていたことがバレてしまったことが元となり、「八百長」がわざと負けることの意味となった。

諸説2)
囲碁の相手は、八百屋で水茶屋を営んでいた、斎藤長吉、略して八百長さんであるという説が、1901年の朝日新聞に掲載されていたらしい。

接戦のように見せかけて勝ち負けするのは、実力差がないとできない芸当です。

<同義語>
「チートする」は英語表現で「cheater=ズルい人、詐欺師」から派生。コンピュータの不正改造やコンピュータゲームのプログラムミスで勝つこと

「チョンボする」は麻雀の錯和(ツァホウ=誤ったアガり)で、勝ったつもりが反則行為をしていた意味。わざとチョンボすると八百長になるかも

「注射する」は大相撲の隠語で、両者が事前に勝ち負けを決め相当の見返りをやり取りする。
八百長の語源は強者側の力加減だが、現在の八百長の意味は、勝敗に対し不正行為を持ちかけて取引することに置き換わっている。

落語「佐野山(さのやま)」別名「谷風の人情相撲」は、本来の八百長の意味に近い人情噺で竜馬と重太郎の試合に近い意味合いがあると思います。