伏見_女酒

江戸時代の常識・風習

日が傾いた頃、船は伏見についた。
龍馬が荷物をまとめていると、寝待の藤兵衛からしきりと世話を焼いて、「旦那、伏見のとまりはどこになさいます。」もう人前だから、お店者の言葉になっている。
「そうだな。別に当ては、ないな。」
「ではこうなさいまし。手前の懇意な船宿で寺田屋と言うのがございます」「今はお登勢という後家が女手でやっておりますが、これがまた、京女を江戸の水で洗ったような気っ風の女でございましてな」
「やはりお前の泥棒仲間か」
「冗談じゃねぇ」と藤兵衛は急に声を低くした。
寺田屋に入ると、すぐに女将のお登勢が挨拶に来た。
「こちらが土佐藩の御家中で坂本龍馬という旦那だ」
「江戸への剣術修行どすか?ご苦労はんどすなぁ」
(このお人は、女子に騒がれるかもしれないが、それ以上に男のほうが騒ぐかもしれない。)
お登勢は、旅籠のおかみらしく、品物を値踏みするような丹念な目で竜馬を見た。

竜馬がゆく1 P67

竜馬も飲んだ?伏見の女酒

日本書紀・織田・豊臣の時代からの要所 伏見

古来「不死身(ふじみ)」と「伏見(ふしみ)」の語呂合わせから縁起が良いとされ、多くの権力者が一目置いた地域で、京都と大坂を結ぶ要地にあり、藤原氏や豊臣秀吉など、時の権力者の逸話で頻繁に登場する土地です。

「伏見」の地名は、「俯見」「臥見」「伏水」などと書かれてきました。『日本書紀』には、「俯見村」、『枕草子』では「伏見の里」、新古今和歌集では歌枕に「呉竹(くれたけ)の伏見」と出てくるほど有名な土地です。

由来は、桃山丘陵から見渡す眺めのすばらしさ、つまり俯瞰を意味する「伏見」と、水の豊かさを象徴する「伏水」からと言われており、豊かな水から造る日本酒が名物です。

京・大坂の交通の要所として発展した宿場町・伏見は、三十石船の京都の発着場所となっており、京からここまで来た旅人は、船の出発まで腹ごしらえしながら伏見酒を飲んだ事でしょう。

上方では双璧の酒・伏見の女酒

全国的には上方の酒といえば「灘の酒」をイメージしますが、関西では「灘の男酒、伏見の女酒」と並び称する酒どころです。灘の宮水よりも硬度が低い軟水で仕込み熟成期間も長くして甘口の酒を造っています。

著名な伏見の蔵元

月桂冠 大倉記念館  〒612-8043  京都府京都市伏見区南浜町247
中庭には、酒造りの命の水「さかみず」の湧き出る井戸があり、お酒造りに使われていた道具の展示も見学することができます。

黄桜 カッパカントリー 〒612-8046 京都府京都市伏見区塩屋町228
カッパッパールンパッパー」という懐かしのCMの歴代シリーズを見たり、日本酒や地ビールが100円で飲めるショットコーナーもあります。

キンシ正宗  京都府京都市中京区堺町通二条上ル亀屋町172
キンシ正宗が創業を開始した土地を町屋・酒造りの文化発信の場所としたのが、ここ堀野記念館です。京都の名水「桃の井」の試飲も。

他にも国内でも有名な酒蔵が集まっていて、酒蔵見学ができる施設も充実しているので、寺田屋を訪れた後は、ぜひ寄ってみたいスポットです。

伏見酒造組合のホームページで紹介されています。
http://www.fushimi.or.jp