男子三日見ざれば刮目せよ_薬食い

江戸時代の常識・風習

嘉永七年六月三日

竜馬にも平和な日常が戻って来た。土佐藩品川の臨戦態勢が解かれ、桶町の千葉道場に戻った。道場に戻った竜馬は以前の月代が伸びた山賊頭でなく、総髪が十分に伸び、髷が言えるまでになった。
「立派になった」と喜んでくれたのは大先生の千葉貞吉であった。
「士は三日見ざれば刮目してみるべしというが、男子は日々成長するものだ」

重太郎はすぐ酒の話になり、「竜さん、今夜は酒を買おう」
さな子が下働きを指図しながら席を整えていく
「兄がこれにしろと言うのですが、さなは、見るのも嫌です」
「さては薬食いですな」
「いいえ。豚でございます」

「坂本様も嫌でございましょ」
「いや、食ったことはないが、好きですよ」
「そうね、坂本様は、人でも何でも相手見境のないお人ですから。だって岡場所の遊女の仇打ちの助太刀をするぐらいですから」
「遊女でも人間ですよ」
「ええ。女の人は悪くない。悪いのは坂本様ですから」

memo 薬食い 豚

江戸時代は、四本脚の獣は食べない殺生禁断の思想があったため動物は薬代わりに食べていました。
牛や馬は農耕や乗馬などで身近で飼っていました。猪や鹿、熊などは山漁師が捕獲して、食すときも猪はボタン、鹿はモミジなど、当時の隠語は現在も伝わっています。
でも、豚って完全に食用として飼わないと手に入らないもので、殺生禁断の時に飼育していたのでしょうか?

日本養豚協会 http://www.jppa.biz/butanoohanashi.html
のホームページによると、西暦200年から600年の間に、渡来人から養豚技術が持ち込まれていたそうで古い歴史があるのですが、やはり江戸時代に衰退していきます。

ところが、江戸時代でも鹿児島で「肥料を取るために豚を飼育」していたのです。すごい抜け道!

海外諸国との関係が深まるにつれ再開する養豚
再度日本国内で豚が飼われるようになったのは、徳川時代で「牧畜雑誌」によると1664~1691年に中国人によって、現在の長崎県に豚が輸入されたことが記されています。また、鹿児島県においても江戸時代の分化年間に橘南鶏という人が記した紀行文のなかに、肥料を取るために豚を飼養していることが書かれています。その他、千葉県、神奈川県、埼玉県、北海道、茨城県等でも江戸時代から豚を飼育していたという記述が残っています。