土佐藩

後藤象二郎

「おれも切羽詰まった」と、竜馬は、カマチに腰を下ろした。竜馬はわざとことばを誇張させて、「土佐藩と手を握りたくなった。へんぺんたるわれら郷士の感情は、あたらしい日本の築きあげのためには捨てねばならぬ。俺はそう思った。」竜馬は、カマチの上であ...
幕末の女性

勝邸に… 勝海舟と子供

「お父様」といったのは、ことし十四歳になる次女の孝子である。のち、旗本の疋田氏にお嫁入りした娘で、なかなかの利発者であった。「裏の木戸のそばに、毎夜、浪人者がすわっているのをご存じでございますか」「どんな男だ」「大きい人でございます。刀を抱...
文化人教養人

維新の遺伝子を受け継いだ・吉田茂

「坂本君、きみは日本の政権に野望をもっているのか」「おや」竜馬は、後藤を見た。正直なおどろきである。後藤(象二郎)という男は度量広大な人物とみていたが、そんな推量をするあたり、やはり一官僚にすぎないかと多少失望した。「ないさ」竜馬は火鉢を引...
浪人浮浪雲

芹沢鴨 粛清

「帰った?あの壬生浪」と、お登勢が入ってきた。みぶろというのは、新撰組結成の初期、京の市中のひとがきらってつけた異名である。洛西壬生村に屯所をもつ壬生浪人、というところから出たものであろう。竜馬がゆく4 P115芹沢鴨(せりざわかも)芹沢鴨...
江戸落語の世界(芸能・娯楽)

御神酒徳利

長州藩の密使井上多聞、伊藤俊輔が長州下関を発したのは、七月十六日である。和船で、九州へ渡った。二人は、同士のあいだでは御神酒徳利といわれている。どこへゆくにも二人づれで、とほうもなく女好きという点でもうまが合っていた。適度に軽口で、適度に度...
竜馬がゆく

亀山社中

「さて、御一行の仮り陣屋ですが」と、旅館に入ると、長崎の薩摩藩士が竜馬にいった。「長崎は土地が狭く、手ごろな家屋がなかなかみつかりません。そこであの岡に」と、障子をあけ、港の南側にのびのびとひろがっている亀の背のような岡を指さし、「一つ、あ...