江戸時代の常識・風習伊藤博文と円朝-文七元結 (どうも、このひとにはかなわぬ)肩をすくめたが、そのまま髪をゆだねた。お田鶴さまはこういう再会の仕方がひどく気に入ったらしく、入念にすき、元結を結ぶべく髪を引っ詰めた。「痛っ」竜馬は悲鳴をあげた。お田鶴さまはかまわず元結を巻き、そのあたりに... 1889.12.01江戸時代の常識・風習江戸落語の世界(芸能・娯楽)
土佐藩後藤象二郎 「おれも切羽詰まった」と、竜馬は、カマチに腰を下ろした。竜馬はわざとことばを誇張させて、「土佐藩と手を握りたくなった。へんぺんたるわれら郷士の感情は、あたらしい日本の築きあげのためには捨てねばならぬ。俺はそう思った。」竜馬は、カマチの上であ... 1867.06.09土佐藩
幕末の女性勝邸に… 勝海舟と子供 「お父様」といったのは、ことし十四歳になる次女の孝子である。のち、旗本の疋田氏にお嫁入りした娘で、なかなかの利発者であった。「裏の木戸のそばに、毎夜、浪人者がすわっているのをご存じでございますか」「どんな男だ」「大きい人でございます。刀を抱... 1862.12.20幕末の女性江戸時代の常識・風習
文化人教養人維新の遺伝子を受け継いだ・吉田茂 「坂本君、きみは日本の政権に野望をもっているのか」「おや」竜馬は、後藤を見た。正直なおどろきである。後藤(象二郎)という男は度量広大な人物とみていたが、そんな推量をするあたり、やはり一官僚にすぎないかと多少失望した。「ないさ」竜馬は火鉢を引... 1866.08.01文化人教養人
浪人浮浪雲芹沢鴨 粛清 「帰った?あの壬生浪」と、お登勢が入ってきた。みぶろというのは、新撰組結成の初期、京の市中のひとがきらってつけた異名である。洛西壬生村に屯所をもつ壬生浪人、というところから出たものであろう。 竜馬がゆく4 P115 芹沢鴨(せりざわかも) ... 1863.09.16浪人浮浪雲
江戸落語の世界(芸能・娯楽)御神酒徳利 長州藩の密使井上多聞、伊藤俊輔が長州下関を発したのは、七月十六日である。和船で、九州へ渡った。二人は、同士のあいだでは御神酒徳利といわれている。どこへゆくにも二人づれで、とほうもなく女好きという点でもうまが合っていた。適度に軽口で、適度に度... 1864.03.11江戸落語の世界(芸能・娯楽)