亀山社中

竜馬がゆく

「さて、御一行の仮り陣屋ですが」
と、旅館に入ると、長崎の薩摩藩士が竜馬にいった。
「長崎は土地が狭く、手ごろな家屋がなかなかみつかりません。そこであの岡に」
と、障子をあけ、港の南側にのびのびとひろがっている亀の背のような岡を指さし、
「一つ、あるのです」
「ほう、あの土地は何と言います」
「亀山です」
日没までまだ時間がありそうだから、竜馬はさっそく検分に出かけた。

竜馬はこの家屋が気に入り、自分たちの団体名もとりあえず、
「亀山社中」
と名づけた。

竜馬がゆく6 P69

亀山社中

慶応元年(1865年)5月頃、坂本龍馬ら長崎で亀山社中を結成する。拠点とした場所が長崎の亀山にあり、仲間・結社を意味する「社中」を合わせて亀山社中と呼ばれ、薩摩藩や長崎で海運業を営む商人・小曽根家の資金援助を受け、物資の運搬や貿易の仲介などを行なった。

幕末維新史年表 東京堂出版

閉鎖された神戸海軍操練所の仲間たちとともに海運業を行う団体・亀山社中を組織。
長州藩から借りた木製蒸気船「ユニオン号」(薩摩藩名:桜島丸、長州藩名:乙丑丸(いっちゅうまる))で海運業を行いました。
薩摩藩から、給与として一人3両2分が支給された。
基本的にはどこの藩にも属さない独立した商売の方法は「日本最初の会社」といわれています。

<社中メンバー>
坂本龍馬(5月の立ち上げ時には長崎不在)
近藤長次郎(まんじゅう屋・グラバーとの取引役)
高松太郎(龍馬の姉千鶴の子)