土佐藩いろは丸沈没事件 操舵室に、竜馬の時計がある。その針が、十一時を指した。そのとき海面がにわかに盛りあがって、くろぐろとした巨影が船の正面にあらわれた。(島か?)当直士官の水戸脱藩佐柳高次はとっさにおもった。船の針路は、あいかわらず東・一点南である。右舷には讃... 1867.04.23土佐藩
豪商・商人竜馬の写真 「なんだ」三岡が手にとると、竜馬の写真であった。「おれの写真さ。このさきどうなるかわからん。万一のときの形見だと思ってくれ」と、竜馬はいった。「そうかね」三岡はつぶやき、竜馬の顔をみた。竜馬がゆく 8P377 長崎 上野撮影局 日本最初の戦... 1866.01.01豪商・商人
江戸時代の常識・風習柳馬場蛸薬師 中岡はいま町屋の密集した柳馬場蛸薬師の借家に、薩摩藩士横山勘蔵という変名で住んでいる。竜馬が行く 8 P64 柳馬場通りは、京都御所南側の丸太町通から塩竈町まで約2.3kmのまっすぐ縦断した通りです。豊臣秀吉肝いりの当時日本一の遊郭『二条柳... 1867.04.01江戸時代の常識・風習江戸落語の世界(芸能・娯楽)
朝廷・宮家鶏鍋 江戸時代に食べていた鳥は (桂小五郎)「腹がへった、あれなる農家でめしを焚かせましょう。先ほど、モミ干し場でニワトリをみたが、あれを食おう。どうだ」(龍馬)「つばがわいてきた」鶏鍋ができた「酒は?」「酒までは奢れない」小五郎はさすがに嫌な顔をした。しかし妙なもので、... 1854.03.23朝廷・宮家江戸時代の常識・風習
竜馬がゆく生麦事件 香港ずれをした不幸な四人の英国人は、そういうすべてを、軽くみた。日曜日。快晴である。馬上、談笑しながら東へ進んだ。向こうから薩摩の行列がやってくるのだが、歩度をゆるめようともせず、むろん、馬からおりようともしない。当時、このあたりの街道は、... 1862.08.21竜馬がゆく薩摩藩
朝廷・宮家孝明天皇崩御 孝明天皇崩御 慶応2年12月25日(歴史人201912) かねて近侍の子供のなかに天然痘にかかった者がおり、帝は平素「感染るのではないか」と怖れられていたが、そのいわば御予感があたった。十七日、お顔が腫れはじめ、しばしば吐き気がおそい、のど... 1866.12.25朝廷・宮家