御神酒徳利

江戸落語の世界(芸能・娯楽)

長州藩の密使井上多聞、伊藤俊輔が長州下関を発したのは、七月十六日である。和船で、九州へ渡った。
二人は、同士のあいだでは御神酒徳利といわれている。どこへゆくにも二人づれで、とほうもなく女好きという点でもうまが合っていた。適度に軽口で、適度に度胸がある。弥次郎兵衛、喜多八、といった仲なのである。

竜馬がゆく6 P129

落語 御神酒徳利

あらすじ

日本橋馬喰町の刈豆屋という旅籠に、先祖が徳川家より拝領したという家宝の御神酒徳利があります。
ある年の師走十三日、年に一度の大掃除のこと。通い番頭の善六は家宝の徳利が無造作に出されていることを見つけ、盗られては大変だと台所の水瓶の中に隠しました。
やがて徳利がなくなったとお店は大騒ぎ。善六も自分が隠したことをすっかり忘れてしまっていました。

家に戻ったところで善六は、自分が隠したことを思い出す。ヨメに相談すると、嘘の占いをして見つけたことにすればいいと助言。さっそく善六は刈豆屋に戻り、そろばん占いで「徳利は台所の水瓶の中にある」と宣言すると、その通りに徳利が見つかったために主人は大喜び。


この騒ぎを見ていた宿泊客が、大坂の大商人である鴻池善右衛門の支配人。鴻池の主の娘は原因不明の病で床に臥せっており、江戸の名医や神仏・占いを探していました。善六の占いを聞いた支配人は、三十両の大金を渡して一緒に大坂に来て欲しいと頼む。

道中、神奈川宿の新羽屋(にっぱや)という鴻池の定宿に泊まったところ宿の中が慌ただしい。
数日前に泊まった薩摩武士が持っていた金七十五両と幕府への密書が入った巾着が盗まれる事件が起き、主人の源兵衛は奉行所でお取り調べを受けているという。
占い師の(?)善六が巾着のありかを占わなければならなくなり、機を見て逃げ出そうと離れ部屋に籠もることに。そこに宿の女中があらわれ、病気の親に仕送りするために魔が差したと白状をして隠し場所を伝える。
善六は「占いによって隠し場所がわかった」と見つけ出し、新羽屋から三十両の礼金を受け取る。善六は先の女中をこっそり呼ぶと、親孝行に使いなさいと五両を渡す。


大坂・鴻池に到着すると、支配人は刈豆屋のみならず新羽屋のことも主人や店の者に話したため、善六に期待が集まる。困った善六は時間を稼ぐために断食と水垢離を始める。すると満願の夜の夢枕に新羽屋の稲荷が現れ、屋敷の下に埋められている観音像を掘り出して崇めれば娘の病気は治ると告げる。
翌日、善六が占いの結果としてそのことを告げるとその通り観音像がみつかり、娘の病もすぐに癒える。鴻池の主人は善六に感謝して莫大な礼金を払い、これを元手に善六は喰町に立派な旅籠を開いた。

「生活はもちろんケタ違いになるわけで。そろばん占いでございますから」

幕末のキーワード

  • 先祖が徳川家より拝領したという家宝の御神酒徳利
  • 大坂の大商人である鴻池善右衛門
  • 薩摩武士が持っていた金七十五両
  • 幕府への密書が入った巾着

御神酒徳利と占い八百屋

御神酒徳利は、元は上方落語で、1904年頃大阪に移っていた五代目金原亭馬生が覚えて、東京に戻った時に六代目三遊亭圓生に教えたものであり、当初はサゲはなかった。
「占い八百屋」も同様のあらすじで、上方から三代目柳屋小さん(1857年9月20日 – 1930年11月29日)が移入しました。出入りの八百屋が自分が隠した徳利を見つけ出して、その流れで上方に旅に出ます。大坂までたどり着かずにサゲとなります。

お神酒徳利とは

神前に供える瓶子と共に江戸中期から末期にかけて、細い鶴首のお神酒徳利があります。その模様は、これ以上めでたい図柄はないと思われるほどおめでた尽くしの絵が描かれているものが多く見られます。

菊正宗ホームページ より

六代目三遊亭圓生の御前口演

夜分電話で、明年皇后陛下の古希の御祝いで、それについて宮中へ出て、御前口演をということである。
一度逢って相談したいということなので、何しろ落語家を宮中へ召されてお聞き下さるということは今回が初めてのことではあり、演題もどういうものがよいかと相談したが私は「お神酒徳利」か「茶の湯」というので、筋を申し上げたが、お目出度い噺となる「お神酒徳利」のほうがよろしかろうと言うのだが、ともあれ他の者とも相談をしてと言うのでお別れした。

「御神酒徳利」ということに定まったと電話があり、宮内庁より松平潔さま(侍従の方)と文化庁榎本氏とが私のマンションへわざわざおいで下さったが、松平さまは、もとはお大名の殿さまで、昔なら大変なことで、マンションに住むもの一同がお出迎えをして、土下座をしなければならぬことだが、それが落語家の所へ気安くおいで下さるという、時代の相違とは妙なものだと思った。
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芸術祭の賞をもらい、叙勲されたこともうれしくないことはありませんが、落語家として御前口演をしたのは私が初めてである。圓朝師匠も、明治陛下に御前口演したというが、たしかにそれは井上候の屋敷だと思う。皇居へ召されたのは初めてのことである。ただし皇居へ召された人もあるが、音楽堂での御前口演である。本当の……本当のというのもおかしいが、皇居のうち、春秋の間で口演したのは私だけである。

円生御神酒徳利御前口演について