土佐藩

べこのかあ

「なんじゃ、坂本。そのかっこうは。人を嘲斎坊(ちょうさいぼう)にしくさるか」「おれは、べこのかぁじゃけんのう。べこのかあがべこのかあどもを退治するのは、この格好が一番えぇ」「ちぇっ、この べこのかあぁ」せまい部屋に土佐言葉の罵声がはんらんし...
幕末の女性

西郷隆盛と愛加那

西郷隆盛と奥さん初婚最初の結婚は、嘉永5年(1852年)25歳の時に、薩摩藩士の娘 須賀と結婚。この頃隆盛は江戸に赴任して幕府の次期将軍と薩摩藩の関係構築に奔走。その間に須賀の実家の財政がひっ迫することになりやむなく離縁。結婚生活は2年ばか...
徳川幕府

パリ万博へ 徳川昭武、渋沢栄一らとともに

日本国のヨーロッパデビュー諸外国との交渉が多くなった幕末。世界情勢のなかで日本の代表は徳川幕府だとアピールする機会がおとずれました。パリ万博です。開催は1867年4月1日から10月31日。パリ万博は諸外国が各国の代表する特産品や最新技術を展...
文化人教養人

長崎丸山・花月

その夜、竜馬は、丸山であそんだ。丸山は、江戸の吉原、京の島原とならんで日本三大遊里のひとつにかぞえられたところである。思案橋のたもとに紅燈がゆれ、柳が数本、灯影にあざやかなみどりをたらしている。その橋をわたれば、すでに絃歌のちまたであった。...
諸外国

英国公使館焼き討ち

江戸桜田の長州藩邸にいる同藩の過激有志の旗がしら高杉晋作が、「薩摩藩が、生麦で夷人を斬って天下の攘夷のさきがけをした。長州藩たるものがそれに負けていてはならぬ」と、同志に説いた。高杉のいうところでは薩摩藩に勝つにはもっと大きなことをやらなけ...
江戸時代の常識・風習

伊藤博文と円朝-文七元結

(どうも、このひとにはかなわぬ)肩をすくめたが、そのまま髪をゆだねた。お田鶴さまはこういう再会の仕方がひどく気に入ったらしく、入念にすき、元結を結ぶべく髪を引っ詰めた。「痛っ」竜馬は悲鳴をあげた。お田鶴さまはかまわず元結を巻き、そのあたりに...