江戸落語の世界(芸能・娯楽)

春風亭柳枝

古今乃名人なり 初代春風亭柳枝は、13歳<文政9年(1826年)>(一説では16歳<文政12年(1829年)>)ころに江戸後期の人情噺の名人・初代麗々亭柳橋に入門。麗々亭柳馬に次ぐ2番弟子となります。落語系図(昭和56年編纂)には、「初代春...
文化人教養人

新島襄アメリカへ

「北添よ、えぞちを見物してこぬか」北添佶摩は、びっくりした。この当時の日本人にとって、北海道といえば。心理的にはこんにち、南極を見にゆけ、といわれるにひとしい。竜馬がゆく4 P305 志士 蝦夷地移住計画 新撰組に制圧されて京にあふれている...
竜馬がゆく

勝海舟、容堂に謁見

「なに、勝先生が?」すぐ立ち上がってみずから甲板へ出た。この気さくさも、いままでの大名ではない。それだけではない。「いやこれはちょうどよい。酒の相手がほしかったところですよ」と、家来に支度をさせ、勝とともに短艇に乗じて、陸に向かった。浜辺の...
徳川幕府

渋沢栄一

渋沢栄一と坂本龍馬は、北辰一刀流・千葉道場系の兄弟弟子だった! 渋沢栄一 (1840〜1931/天保11〜昭和6) 渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営する豪農だった。原料の買い入れから販売まで算盤をはじく商業的な才覚が求められ、14歳の時に...
文化人教養人

高崎城乗っ取り計画

高崎城乗っ取り計画 尊皇攘夷の風が強くなる文久三年。師匠の尾高惇忠(おだかあつただ)とともに、渋沢栄一、渋沢成一郎(喜作)の3名が中心となり武蔵国から立ち上がろうと計画します。まず高崎城を乗っ取り、城にある軍備を手に入れ整えたら、ただちに横...
竜馬がゆく

新徴組 中澤琴

あの浪士団は朝廷のご用のためのものでござりまする。と、ぬけぬけといっている。奇術師とすれば清河ほどの奇術師はいない。してやられた。とみな気づいた。奇術のたねがあとからあとから割れてゆく。が、清河は、度胸がいい。タネが割れてもせせら笑っている...