竜馬がゆく下関砲撃事件 そんなことをしているうちに、塾内の土佐藩士が、動揺し始めた。「坂本さん、この時節に、悠長に軍艦などなろうちょられん」そのころ、長州が、いよいよ単独攘夷を断行し、馬関(下関)海峡を通過する船舶の中で外国の艦船とみれば、沿岸砲をもって砲撃し始め... 1863.05.10竜馬がゆく
土佐藩航海練習生募集開始 高松太郎 文久三年五月の暮、諸藩士や浪人たちが、「航海練習生」になるために、ぞくぞくと神戸にやってきた。竜馬は、新築の寮舎の奥の一室に陣取り、毎日のように新入生のあいさつを受けた。さっとこの月は、二百人。龍馬の長姉で、安芸郡の郷士高松順蔵の妻になって... 1863.05.20土佐藩
竜馬がゆく陸奥宗光 入塾 (しかしあの伊達小次郎って若造だけは見どころがありそうだな)竜馬は目をかけてやった。齢は、龍馬より九つ下の二十歳である。それにしてもこの若者は、紀州藩のお歴々に生まれていながら、なぜ「土佐藩士です。そうしておいてください」といつわるのか。「... 1863.05.21竜馬がゆく
土佐藩土佐勤王党誕生 文久元年八月 桜田門外の変の後、いよいよそうぜんとなった天下の情勢を検討するため江戸で諸藩の同士と会合していた武市半平太が、土佐に帰帆したのは文久元年八月である。(やる。−)胸中秘策がある。はるか、西の天の下に、高知城の天守閣が見えた。武市... 1861.08.10土佐藩竜馬がゆく
竜馬がゆく京都留守居役 「京都留守居役」というのがあった。〜〜 幕末では、がらりとこの仕事の質がかわった。諸藩の京都周旋方、公用方、応接方といった外交官連中は、京都論壇での中心的勢力で、諸藩の同役と三本木あたりの妓楼で社交し、湯水のように金を使っている。長州藩の桂... 1863.06.01竜馬がゆく
土佐藩龍馬、四天王寺の果たし合い 事件がおこったのは、それから数日のちである。早朝、竜馬が自室で朝飯を食っていると、陸奥陽之助が、例の無愛想な美少年づらであらわれた。「坂本さん、あなたは北辰一刀流の名人だと聞きましたが、ほんとうですか」「朝っぱらから、何を言いやがる」〜〜「... 1863.06.01土佐藩