亀山_祐天仙之助

小間物屋赤蔵が旅籠大和屋に入って播磨介を尋ねると、その方は泊まっていないという。

「旦那、変事があったのかもしれません」
「そんなことはなかろう」
「お城下の新町に兄貴分の水屋伊助までご足労を」
「赤蔵、この伊助も盗賊か」
「めっそうもない。若い頃は渡世をしていましたが、今は、藩の御用人から可愛がられております。この伊助の人足を借りて、街道筋の宿場を尋ねさせます。」

memo  祐天仙之助

黒駒勝蔵と同じ甲州で雌雄を争っていたのが、祐天仙之助。

元は甲斐国の生まれで、親族は修験者であったらしく「祐天」とと称していたが修験者の修行は全く行わずに剣術の修行をしていた。また、方々で喧嘩をしても負けたことがなく自分を「山本勘助の末裔である」と豪語していた。

やがて、甲州の十手もち博徒の三井卯吉の子分となり名を上げていくが、竹井安五郎一門と敵対して、黒駒勝蔵と激しい抗争を繰り返すことになる。

勝蔵との抗争ののち甲斐国から逃亡して身を隠していたが、文久三年(1863年)に清川八郎が募集した浪士組に子分たちを引き連れて参加した。その折には、山本勘助の末裔を称していたせいなのか、名を山本仙之助に改名していた。
浪士組では第一小隊五番組の小頭に任命された。

清川清八が集めた浪士組は、後の新撰組の面々も参加している。とりあえずたくさんの人を集めたいがため、身分や犯罪歴を問わず腕に覚えあるものを集めたため、六番組には祐天仙之助が甲州で殺した桑原米助の息子・大村辰尾が所属していた。