江戸時代の常識・風習

江戸時代の常識・風習

プチャーチンの遭難

「坂本さん、どうなされたのです。」千葉道場に戻ると、みな竜馬を見て驚いた。この地震騒ぎの中、女をおぶっている。「この女は深川まで帰るのだが、この騒ぎ、明け方まで預かってくれんか。藩邸の様子を見て来る」鍛冶橋屋敷について様子を聞くと、御門の瓦...
江戸時代の常識・風習

士族の商法

後藤は、長崎や上海で手あたり次第に軍艦や銃砲を買っているが、せいぜい支払ったのは樟脳と交換した三万両程度のもので、あとは丸山で豪遊するばかりで異人どもにも金を支払っていない。「軍艦を買う」と藩に金を要求しては丸山へ行って一斗樽から金銀をぶち...
文化人教養人

長崎丸山・花月

その夜、竜馬は、丸山であそんだ。丸山は、江戸の吉原、京の島原とならんで日本三大遊里のひとつにかぞえられたところである。思案橋のたもとに紅燈がゆれ、柳が数本、灯影にあざやかなみどりをたらしている。その橋をわたれば、すでに絃歌のちまたであった。...
江戸時代の常識・風習

伊藤博文と円朝-文七元結

(どうも、このひとにはかなわぬ)肩をすくめたが、そのまま髪をゆだねた。お田鶴さまはこういう再会の仕方がひどく気に入ったらしく、入念にすき、元結を結ぶべく髪を引っ詰めた。「痛っ」竜馬は悲鳴をあげた。お田鶴さまはかまわず元結を巻き、そのあたりに...
幕末の女性

勝邸に… 勝海舟と子供

「お父様」といったのは、ことし十四歳になる次女の孝子である。のち、旗本の疋田氏にお嫁入りした娘で、なかなかの利発者であった。「裏の木戸のそばに、毎夜、浪人者がすわっているのをご存じでございますか」「どんな男だ」「大きい人でございます。刀を抱...
江戸時代の常識・風習

柳馬場蛸薬師

中岡はいま町屋の密集した柳馬場蛸薬師の借家に、薩摩藩士横山勘蔵という変名で住んでいる。竜馬が行く 8 P64 柳馬場通りは、京都御所南側の丸太町通から塩竈町まで約2.3kmのまっすぐ縦断した通りです。豊臣秀吉肝いりの当時日本一の遊郭『二条柳...