徳川幕府

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桜田門外の変 井伊直弼

門前で馬蹄の音が止まったかと思うと、庭先へ旅装の武士が駆け込んできた」「竜馬、一大事じゃ」武士は武市半平太である。「珍しい、おまんがそんな昂ぶっちょるのは」「大老井伊直弼が、江戸桜田門外で身と、薩摩の夕刻の烈士のために殺されたぞ」竜馬がゆく...
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龍馬襲撃

(捕吏。)と思ったとたん、おりょうはそのままの姿で湯殿をとびだした。自分が裸でいる、などは考えもしなかった。裏階段から夢中で二階へあがり、奥の一室にとびこむや。「坂本さま、三吉さま、捕り物でございます」と小さく、しかし鋭く叫んだ。竜馬はその...
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灘五郷・嘉納家の上納金

江戸城消失に嘉納家、1100両を上納文久三年(1863年)11月13日、江戸城本丸、二の丸、西の丸が焼失する。二の丸・西の丸は再建されるが、本丸御前は再建されないままとなった。(幕末維新史年表より)江戸後期、下り酒で大きな利益を上げた灘の酒...
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池田屋騒動

池田屋楼上の志士たちは、とっくに命を捨ててかかっている。それを狙うもう一つの佐幕派志士団も、命を捨ててかかっていた。新撰組である。この官設浪士団が結成される時、幕閣の一部では、「毒をもって毒を制す」という意味で、賛意を表したものがあった。竜...
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予兆

この年、五月下旬から異常高温がつづき、六月に入っても一滴の雨もふらなかった。「天候だけではないのでございますよ」「というと?」「町家の者も、どこかへんなのです。」「どのようにおかしいんです」「鯉や、大烏賊をまつったり」さな子のいうところでは...
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蛤御門の変

奇襲であった。幕府は誤算した。長州藩の行動開始は十九日と見、その日を期し、戦備を整えた。その数、五万である。帝都の内外にこれだけの戦闘員があつまったのは、室町末期の応仁の乱いらいのことであった。幕府はさらに誤算した。この作戦は、やがては十五...