徳川幕府咸臨丸サンフランシスコ到着 咸臨丸、アメリカ合衆国・サンフランシスコに到着。北太平洋に沿って37日かけてサンフランシスコにたどり着いたので、舟の損傷も激しかった。メア・アイランド海軍造船所で修理されることになる。(サンフランシスコから25マイル北東の方角に広がる湾内か... 1860.02.22徳川幕府
徳川幕府法螺屋 竜馬 法螺屋 竜馬 (小竜)「のう坂本さん、西洋と対抗する第一は、まず産業、商業を盛んにせねばならぬ。それにはまず物の運搬が大事であり、あの黒船が必要じゃ」(龍馬)「よし、その黒船をなんとか都合しよう」「お前さんが、黒船を?」と小竜先生はいった。... 1859.08.24徳川幕府竜馬がゆく
徳川幕府帰郷_安政に改元 安政元年十一月二十七日 竜馬は大坂天保山から海路土佐へ向かい、船泊まりをかさねてようやく浦戸湾に入った時には、四国山脈の朝もやが晴れようとしていた。一年八か月ぶりの帰郷である。 しかし想像していたよりも地震と津波の被害は大きく(材木屋と大工... 1854.11.27徳川幕府竜馬がゆく
徳川幕府13代征夷大将軍 徳川家定 嘉永六年十月二十三日 memo13代征夷大将軍 徳川家定 嘉永六年10月23日 十三代征夷大将軍 に就く。 第12代将軍・徳川家慶の四男として江戸城で生まれる。家慶は14男13女を儲けたが、成人まで生き残ったのは家定だけであった。 家定は元... 1853.10.23徳川幕府
徳川幕府夷狄(いてき)うつべし 嘉永六年六月十一日 品川藩邸 数日藩邸を留守にしている間に、軽格の連中の空気がひどく変わっているのに驚いた。 殺気立っている。 黒船の人もなげな恫喝ぶりを見聞きして、すっかり激昂してしまったらしい。 「夷狄うつべし」 「公儀は、なんと弱腰か... 1853.06.11徳川幕府諸外国
徳川幕府甲冑、刀槍 嘉永六年六月六日 その翌々朝、やっと出勤令が出た。 竜馬らは、品川に送られることになり、早暁、隊伍を組んで鍛冶橋屋敷を出た。 「武市さんよ」 「なんだ」 「こうとわかっておれば古道具屋でもやっておくのだったなぁ」 うわさでは、諸藩の武士が江... 1853.06.06徳川幕府