龍馬襲撃

徳川幕府

(捕吏。)
と思ったとたん、おりょうはそのままの姿で湯殿をとびだした。自分が裸でいる、などは考えもしなかった。
裏階段から夢中で二階へあがり、奥の一室にとびこむや。
「坂本さま、三吉さま、捕り物でございます」と小さく、しかし鋭く叫んだ。
竜馬はその言葉よりも、むしろおりょうの裸に驚いた。興奮しているせいか、目にまばゆいほどに、桃色に息づいている。
「おりょう。なにか着けろ」
と言いすて、三吉慎蔵をふりかえった。慎蔵は、よし、というようにきっぱりとうなずき、手槍をかきよせた。

竜馬がゆく 6 P265
寺田屋の五右衛門風呂 2016撮影

龍馬の寺田屋事件

1月23日の夜、龍馬は伏見の寺田屋に帰り、三吉慎蔵に薩長同盟締結を報告し祝杯を挙げた。そして寝ようとしていた深夜2時ごろ、伏見奉行配下の捕り方約100名に包囲される。その様子に気づいたお龍が二人に知らせると、龍馬はピストルで、慎蔵は槍で応戦した。
龍馬は左右の指を切られ弾倉も落としたため、寺田屋から逃走した。
二人は材木小屋に逃げ込んだが、捕り方に発見される可能性があったため、慎蔵が伏見の薩摩藩邸に駆け込んだ。
すると、留守居役の大山彦八が舟を出してくれ、龍馬は無事に救出された。

歴史人 2019.12 坂本龍馬の真実 より

龍馬襲撃・わざと説

宮川禎一著「再考 寺田屋事件と薩長同盟」(教育評論社2018年)で、面白い説が掲載されました。龍馬が寺田屋で幕府側に襲われたのは、龍馬の作戦ではないかというのです。

寺田屋が夜半襲撃されて、龍馬たちは逃げきりましたが、その時に薩長同盟について記した文書を奉行所に押収されてしまいました。それが、「あえて」なのではないかという説です。

薩長同盟を結んだと言っても、薩摩には長州と手を結ぶことを良しとしない人々がいます(おそらく長州にも)。そこで薩長が手を組んだことを既成事実かのように幕府側が知ることで、世間一般にも広く知らしめることになりました。
さらには、このことを知った他藩は、「えっ! うちの藩はどうする?」と、身の振り方を考えるでしょう。「命がけでそんなことを!?」龍馬は仕組んだのでしょうか?

寺田屋二階から眺めた中庭 2016撮影