1854-03

江戸落語の世界(芸能・娯楽)

ペリー再来_百川

去年にやってきたアメリカのペリー総督が、正月の十四日、ふたたび艦隊をひきいて再来し、さきに幕府に呈上した通商開港に関する国書の返答をきびしく要求しはじめたため、諸藩の沿岸警備隊は再び臨戦状態に入り、竜馬も黒船が去るまでのあいだ、築地の藩邸に...
徳川幕府

徳川斉昭のペリー暗殺計画

この年三月、竜馬は築地屋敷から品川屋敷に移され、台場の警備を命ぜられた。むろん書生の分際だから、竜馬が自嘲する「雑兵」である。ペリー艦隊は、どうゆうわけかなお去らず、艦砲を陸上に向けたまま無言の威圧を加えている。諸藩の陣地は緊張しきっていた...
長州藩

たちあい

「じつは、宮田村にある長州陣屋から使いが参り、滞陣中の士気を鼓舞するため、剣術試合を催したい。と申してきている。土州10人、長州10人を選り抜いて試合をさせる。当然、竜馬がゆく。その時、試合も肝心じゃが、長州陣地をみてこい、というのじゃ。陣...
朝廷・宮家

鶏鍋 江戸時代に食べていた鳥は

(桂小五郎)「腹がへった、あれなる農家でめしを焚かせましょう。先ほど、モミ干し場でニワトリをみたが、あれを食おう。どうだ」(龍馬)「つばがわいてきた」鶏鍋ができた「酒は?」「酒までは奢れない」小五郎はさすがに嫌な顔をした。しかし妙なもので、...
土佐藩

謀者竜馬の帰還

嘉永七年三月二十五日 品川藩邸 竜馬は、土佐藩の品川陣地に戻って、桂小五郎からきいた長州陣地の模様を詳しく報告した。 しかし家老の山田八右衛門は、 「ああ、そうか」といったきりである。 二百数十年も、藩の貴族階級の位置に座り続けると、ついに...
長州藩

わしぁ謀者よ

嘉永七年三月二十三日 一泊し翌朝、一行は長州本営をあとにした。 竜馬は途中で一行と別れ、山越えで横須賀に出ようとした。峠にさしかかった。三月にしてはめずらしく空が青い。 竜馬は、ふと足を止めた。武士がいる。 樹の根に、編笠をかぶって一人腰を...