竜馬がゆく清河八郎と会う 日時仮「京都義挙の一件、あれは俺の作者さ」清河はいった。ホラではなかった。清河八郎は、ホラをふいて自分を膨らまさねばならぬほど、貧弱な男ではない。「あんたがねえ」世間とは妙なものだ、と龍馬はわれとわが身がおかしかった。清河がどこかで吹き上げ... 1862.06.01竜馬がゆく
土佐藩江戸三大道場 江戸には、若い血気の武士の大巣窟が三つある。神田お玉ケ池・桶町の千葉道場 塾頭 坂本竜馬麹町・神道無念流 斎藤弥九郎道場 塾頭 桂小五郎京橋あさり河岸・桃井春蔵道場 塾頭 武市半平太この三道場はそれぞれ千数百人ずつの若い剣術諸生を収容してい... 1858.02.01土佐藩竜馬がゆく
竜馬がゆく文武教授 安政三年十一月藤兵衛の話だと、会津城下で町道場を開いていた信夫左馬ノ助が江戸に戻ってきているらしい。「やはりもとの本所鐘ノ下でさ。表の造作をすっかり変えて、見違えるほど立派な道場になってやがった。文武教授・文明館 そんな名です」「文武教授?... 1856.11.25竜馬がゆく
竜馬がゆく築地下屋敷 嘉永七年正月五日年があけ、竜馬も二十歳になった。そのころ竜馬は、鍛治橋の藩邸から築地の藩邸に移されていた。竜馬だけでなく、わかい藩士のほとんどが築地・品川の下屋敷に移されていたのである。「竜さん、それは不便だよ、いっそ道場に住みこんだらどう... 1854.01.05竜馬がゆく
幕末の女性乙女の決断 「私が龍馬でも、脱藩します。男でないのが、くやしいくらいです」どうやら話の風むきがかわってきた。「泰平の世ならべつ。こんな時勢に女にうまれてきたことは、くやしくて仕方がありません。竜馬も、そう思うでしょう」「そうですな」武芸にも長じ、肚も大... 1862.03.18幕末の女性竜馬がゆく
土佐藩沢村惣之丞と脱藩 武市一派の東洋暗殺にさきだつ十四日前の文久二年三月二四日、闇にまぎれて脱藩してしまっていた。兄の権平は、気が小さいくせに、生来ののんき者だ。五日ばかり経ってから、「のう、お栄。ちかごろ屋敷に竜馬めの姿がみえんが、どこへ泊まりあるいちょるかの... 1862.03.24土佐藩竜馬がゆく