乙女の決断

幕末の女性

「私が龍馬でも、脱藩します。男でないのが、くやしいくらいです」
どうやら話の風むきがかわってきた。
「泰平の世ならべつ。こんな時勢に女にうまれてきたことは、くやしくて仕方がありません。竜馬も、そう思うでしょう」
「そうですな」
武芸にも長じ、肚も大きい。乙女が男なら、ひょっとすると土佐を背負って立つ人物ができたろうと思う。

「悔やんでもしかたがない。その代わり竜馬、脱藩すれば乙女のぶんも働くのですよ。どこにいても、手紙だけはかかさぬようにしてください」
「そうします」
「いっておきますが、手紙のあてさきは、この山北村の岡上屋敷ではありません。お城下本町筋一丁目坂本屋敷にしてください」
「え?」
「乙女は、御当家からおひまを取ります」
(竜馬がゆく2 P400)

坂本乙女のスパルタ教育

武家の娘として必須の文武の教養を持っていた坂本乙女。単なる素養ではない高いインテリジェンスを持った女性でした。
乙女の実子で慈善博愛活動に生涯を捧げた岡上菊栄は、回想録「おばあちゃんの一生岡上菊栄伝」で、母親 乙女の教育を語っています。

日常の居住まいは小笠原流。食膳に出す焼き魚は表面のみを食べ、裏側に箸をつけると「武士の子にあるまじき尾籠の振る舞い」だと叱責された。
騎馬、柔術、水泳など武芸の奥義も極め、女児の菊栄にもこうした武術を教授した。時に、近くの鏡川に菊栄を連れてゆき、手に持った物干し竿の先につけた荒縄に亀の子のように縛り付け、強制的に水泳を覚えこませたと言う。
また、儒教書の大学、小学などを、寺子屋帰りの菊栄に教授した。さらに乙女は、歌舞音曲にも通じ、寄席の高座で義太夫を披露することもあったという。

回想録「おばあちゃんの一生岡上菊栄伝」

コミックで泣き虫の竜馬を鍛えるシーンがありましたが、まさにその通りの教育を子供にしていました。