柳馬場蛸薬師

江戸時代の常識・風習

中岡はいま町屋の密集した柳馬場蛸薬師の借家に、薩摩藩士横山勘蔵という変名で住んでいる。

竜馬が行く 8 P64

柳馬場通りは、京都御所南側の丸太町通から塩竈町まで約2.3kmのまっすぐ縦断した通りです。
豊臣秀吉肝いりの当時日本一の遊郭『二条柳町』と、1604年(慶長9年)の豊国祭臨時祭礼『大規模な馬揃え』を起源にした通り名になります。

蛸薬師

「竜馬がゆく」内で中岡慎太郎が、陸援隊が本拠地にした京都白川の土佐藩邸に移る前の居住地として柳馬場蛸薬師の名前が出てきます。

蛸薬師は、京都市中京区の妙心寺(永福寺旧蔵)や東京都目黒区の成就院などの薬師如来の俗称。疣(いぼ)・婦人病・小児病・禿頭(とくとう)などに霊験があるとされ、タコの絵馬を掲げて祈願する風習がある。
薬師如来が海上をタコに乗って渡来したという口碑をもつ。

豊臣秀吉が現在地へ移転させたという古い神社で、「瘡神(くさがみ)さん」と呼ばれています。疱瘡(天然痘)平癒のご利益があることから名づけられました。
幕末の孝明天皇が天然痘を患ってすぐに死去したように当時では恐る伝染病でした。

こぶ弁慶

ある男が土壁を食べてしまったために、その中に塗り込められてあった絵姿の弁慶が男の肩に憑依して、おおきな弁慶の顔をした瘤(こぶ)として現れます。
男は蛸薬師に日々お参りして、そのこぶを取ってもらおうとしますが、ある日に大名行列に出会い、肩に乗った弁慶が大名に喧嘩を売って大暴れ。散々騒いだ後弁慶は寝てしまい・・。

上方落語の演目 道中噺『伊勢参宮神乃賑』(通称・東の旅)の一編。琵琶湖から京都にあたる。
作者は文政から天保にかけて京都で活躍した初代笑福亭吾竹
大津の宿でのやりとりから、京都に戻り、肩にこぶが出来てそれが話し出し、武士と喧嘩までする内容は、場面転換の多い噺で演者の力量が大変な演目。

夜の昆布はよろこんぶ

この落語のオチ(サゲ)のひとつに「夜のこぶは見逃しがならんわい」という言葉があります。
大阪では「夜の昆布は見逃せん」と言って、夜、昆布を見たらちょっとつまんで食べるという風習がありまして、「よるのこぶ」=「喜ぶ」という言葉のしゃれから来ていると米朝さん自身が「米朝ばなし 上方落語地図」(毎日新聞社)の中で記しています。

松前船で大坂まで運ばれた昆布は、大坂・京都の出汁のベースに使われ豊かな食文化が花開きました。
出汁に使われた昆布は、二次加工で佃煮などにします。現在もお店のサービスの副菜として供する料理屋が多くありますが、その店が良質の昆布を使っている証にもなっています。