1864-07

江戸時代の常識・風習

蛤御門の変2

幕軍の総指揮官一橋慶喜は、鷹司邸の長州人が死にものぐるいになって抵抗するのをおそれ、先述の常識に従って、「鷹司邸を焼きはらえ」と命じた。そこで、合図、桑名、一橋の兵が、手に手に松明を持って邸内に投げ入れたため、またたく間に邸は一団の炎となっ...
徳川幕府

蛤御門の変

奇襲であった。幕府は誤算した。長州藩の行動開始は十九日と見、その日を期し、戦備を整えた。その数、五万である。帝都の内外にこれだけの戦闘員があつまったのは、室町末期の応仁の乱いらいのことであった。幕府はさらに誤算した。この作戦は、やがては十五...
江戸時代の常識・風習

加賀百万石

諸藩では、軍艦、汽船、風帆船を外国から買い入れることがはやっている。ところが、買い入れても自藩では動かせない。どの藩でも、古来、御船奉行、御船方という世襲役人がいるが、和船の能力しかなく、この方面の技術者不足で弱っていた。「加賀百万石といっ...