1864-06

徳川幕府

池田屋騒動

池田屋楼上の志士たちは、とっくに命を捨ててかかっている。それを狙うもう一つの佐幕派志士団も、命を捨ててかかっていた。新撰組である。この官設浪士団が結成される時、幕閣の一部では、「毒をもって毒を制す」という意味で、賛意を表したものがあった。竜...
江戸落語の世界(芸能・娯楽)

枡屋喜右衛門と京都気質

ふと河原町の往来で会った顔見知りの町人が「枡屋はん、ちかごろ繁昌どすなぁ、よろしおすな」となにげなくいった。町人姿の俊太郎は、ぎょっとした。「いえいえ左様なことはござりませぬ。まだ祇園会の前で、夏枯れは早いはずでございますに、商いはすっかり...
徳川幕府

吉田稔麿

稔麿は、元結を結び始めた。が、ふしぎと三度結び、三度とも切れて四度めにやっと結べた。(おかしいな)と、乃美老人はだまってみている。「今宵、池田屋へ行くのをやめたらどうだ。元結が三度も切れるとは、不吉ではないか」「行きます」竜馬がゆく5 P8...
文化人教養人

新島襄アメリカへ

「北添よ、えぞちを見物してこぬか」北添佶摩は、びっくりした。この当時の日本人にとって、北海道といえば。心理的にはこんにち、南極を見にゆけ、といわれるにひとしい。竜馬がゆく4 P305 志士 蝦夷地移住計画 新撰組に制圧されて京にあふれている...