寺田屋騒動2

竜馬がこの異変の宿「寺田屋」をたずねたのは、その翌日である。

寺田屋の台所は三十畳ほどの板の間で、年代が磨き上げた黒檀のような光沢がある。
その板の間に白い足袋を映しながら歩いていた女将のお登勢が、ふとのれんをあげて、
「まあ、坂本さま」
と、奥の間へ通ってゆく竜馬の背をみておどろいた。
「坂本さまではありませんか」
竜馬はふり向いた
「いったい、どうなさっていたのです。風のたよりにうかがうと脱藩なされたそうでございますな」
「そうそう。脱藩した」
にやにや笑っている。
「名も、実は変えちょる。おれは才谷梅太郎というんじゃ」
「でもお顔はもとのままどすえ」
「今日は見舞いに来た」
「一番槍どす。あんまり褒めたことやおへんけど」
(竜馬がゆく3 P74)

伏見寺田屋2階

久光と「精忠組」

精忠組は、近思録崩れの秩父季保が愛読した『近思録』を輪読する会を、西郷吉之介(西郷隆盛)・大久保正助(大久保利通)・長沼嘉兵衛(早世)・有村俊斎(海江田信義)・税所喜三左衛門(税所篤)・吉井仁左衛門(吉井友実)・伊地知竜右衛門(伊地知正治)らで結成。

この頃、島津久光は、前・藩主の実子で、現藩主の血縁者・叔父として藩内における政治的影響力が増大します。
中下級藩士で構成される「精忠組」の中核メンバーを登用して、藩内における権力を強固なものにしていきます。
ただし、精忠組の中心であった西郷隆盛とは終生反りが合わなかった。

薩摩と長州は仲が良かった

今回の、朝廷内佐幕派一掃計画は、清川八郎の発案で、薩摩藩の有馬新七ら、長州藩の久坂玄瑞、土佐藩の吉村虎太郎ら、各藩の倒幕派が一堂に関わっている。この時すでに、薩長土の連携ができていました。
予定どおり関白邸、京都所司代役所に切り込んでいたら、相手側には守る兵士はごくわずか。同時に長州藩も京都の各所を抑えて行くことで、クーデターの成功確率はかなり高かったようです。
佐幕派を一掃することで土佐でも、長州・薩摩でも藩内の佐幕派を抑えて、一気に江戸幕府の終焉。新時代に突入できていたかもしれません。
この時はまだ薩摩・長州の間には何の遺恨もなかったのです。
久光の寺田屋騒動から、徐々に歯車が狂い出したのかもしれません。