徳川幕府千載列青史 篤姫 安政五年一月十九日(いいやつなんだがなぁ)武市半平太は、龍馬のことが、頭にこびりついて離れない。が、今の龍馬には世界観がないのである。天下国家がどうなろうとかまわず道場ボコりにまみれている。(あのままでは一介の剣客になるしか仕方のない男だ)... 1858.01.19徳川幕府薩摩藩
竜馬がゆく文武教授 安政三年十一月藤兵衛の話だと、会津城下で町道場を開いていた信夫左馬ノ助が江戸に戻ってきているらしい。「やはりもとの本所鐘ノ下でさ。表の造作をすっかり変えて、見違えるほど立派な道場になってやがった。文武教授・文明館 そんな名です」「文武教授?... 1856.11.25竜馬がゆく
竜馬がゆく築地下屋敷 嘉永七年正月五日年があけ、竜馬も二十歳になった。そのころ竜馬は、鍛治橋の藩邸から築地の藩邸に移されていた。竜馬だけでなく、わかい藩士のほとんどが築地・品川の下屋敷に移されていたのである。「竜さん、それは不便だよ、いっそ道場に住みこんだらどう... 1854.01.05竜馬がゆく
土佐藩武市富子 アギはいますかいの帰国して三日目に、竜馬は、播磨屋橋を東へわたって、新町田淵町という、町名の二つかさなった城下の町に出かけた。 そこに、武市半平太の「瑞山塾」がある。========= 「アギ(顎)はいますかいの」と、竜馬は塾生のひとりにき... 1858.11.03土佐藩幕末の女性
幕末の女性乙女の決断 「私が龍馬でも、脱藩します。男でないのが、くやしいくらいです」どうやら話の風むきがかわってきた。「泰平の世ならべつ。こんな時勢に女にうまれてきたことは、くやしくて仕方がありません。竜馬も、そう思うでしょう」「そうですな」武芸にも長じ、肚も大... 1862.03.18幕末の女性竜馬がゆく
土佐藩沢村惣之丞と脱藩 武市一派の東洋暗殺にさきだつ十四日前の文久二年三月二四日、闇にまぎれて脱藩してしまっていた。兄の権平は、気が小さいくせに、生来ののんき者だ。五日ばかり経ってから、「のう、お栄。ちかごろ屋敷に竜馬めの姿がみえんが、どこへ泊まりあるいちょるかの... 1862.03.24土佐藩竜馬がゆく