竜馬がゆく

土佐藩

三津浜

文久元年 村上海賊,九鬼水軍 伊予の三津浜から長州藩領には定期便船というものがない。長州船の面倒を見ている三津浜の廻船問屋では、荷船だからどうしてもだめだ、という。やむなく、じかに船頭にあたって見たところ、その「住吉丸」という船の船頭が、「...
竜馬がゆく

萩へ

文久元年十月十五日 藩庁へ請願していた竜馬の旅行願いが、意外に早くおりた。旅行の目的は、剣術詮議のため讃州丸亀城に参るというもの。無論これは表向きだ。真の目的は長州へ飛び、萩城下で長州藩の勤王党の連中と会い、この藩での倒幕運動の実際を見る。...
土佐藩

竜馬 勤王党に参加

文久元年九月 武市の頰は紅潮した。「倒幕実施は明年。時を期し、歩武をそろえ、三藩の兵大挙して京都に集結し、天皇を奉戴していっせいに勤王の義軍をあげる。そのためには、それぞれ自藩に帰って重役を説き藩論を勤王倒幕へまとめる」 「故に衆の力でやろ...
徳川幕府

法螺屋 竜馬

法螺屋 竜馬 (小竜)「のう坂本さん、西洋と対抗する第一は、まず産業、商業を盛んにせねばならぬ。それにはまず物の運搬が大事であり、あの黒船が必要じゃ」(龍馬)「よし、その黒船をなんとか都合しよう」「お前さんが、黒船を?」と小竜先生はいった。...
土佐藩

蘭学通、竜馬

蘭学通、竜馬 そのうち、絵師の河田小竜のほうから、饅頭屋長次郎を使者にして、竜馬のもとに、「会いたい」といってきた。使者の饅頭屋は苦笑していった。「あんたは、蘭学通じゃという評判が城下にたっっちょります。河田小竜先生がそれほどの学者ならこち...
徳川幕府

帰郷_安政に改元

安政元年十一月二十七日 竜馬は大坂天保山から海路土佐へ向かい、船泊まりをかさねてようやく浦戸湾に入った時には、四国山脈の朝もやが晴れようとしていた。一年八か月ぶりの帰郷である。 しかし想像していたよりも地震と津波の被害は大きく(材木屋と大工...