とにかく西郷は竜馬を
竜馬がゆく 5 P276 西郷隆盛と坂本龍馬の初謁見
(今まで見たことのない型のやつだな)とおもった。
竜馬も同じことを思った。
論理(ロジック)が、けんらんたる逆説にみちている。
竜馬は、「大奸智・無欲の人」たらんとし、西郷は、「大至誠にして欲を去ろう」とした。
竜馬にいわせれば、「おなじ、大くせ者さ」
最初の出会い 大きく叩けば大きく響く
元治元年(1864年)8月。京都の薩摩藩邸の面会が初顔合わせと言われています。
勝海舟・氷川清話 より
坂本龍馬が、かつておれに『先生はしばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者もいって会ってくるにより添え書きをくれ』といったから、さっそく書いてやったが、その後、坂本が薩摩藩邸から帰ってきて言うには
『なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば、大きく響く。もしバカなら大バカで、利口なら大きな利口だろう』
といったが、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ
初めて出会って以来、西郷隆盛と昵懇(じっこん)になった坂本龍馬は、慶応元年(1865年)5月1日。西郷に伴われて薩摩藩に入国。亀山社中設立に向けて、薩摩藩からの援助を取りつけます。
その間・薩摩藩では、西郷の家に滞在しました。
龍馬・西郷のふんどしをもらう事件
ある日、西郷隆盛の妻・糸さんに
いちばん古いふんどしをくださらんか?
糸さんは何に使うかわからず言われるままに西郷の古いふんどしを渡します。この時龍馬は手持ちのふんどしの数が足りなくなり感謝して使っていたようです。
西郷か帰宅したときに、何気なく「坂本さんが古いふんどしを欲しいと言ったので渡した」と話したところ西郷は激しく叱責しました
お国のために命を捨てようという人だと知らないか。
さっそくいちばんあたらしいのを差し上げろ!
普段めったに怒らない西郷が目から火が出るほどに怒りだし、糸さんにとってはとても印象深い事件となりました。
平尾道雄著 「坂本龍馬海援隊始末記」より
龍馬の伏見寺田屋事件 その後
慶応2年1月23日に、京の旅籠・寺田屋に逗留していた龍馬は幕吏(ばくり)に襲われます。
龍馬襲撃
これに西郷隆盛は憤慨して、すぐに龍馬を助け出そうと動きます。
龍馬は後の手紙で当時のことを
この時うれしきは西郷吉之助(略)自ら短銃を玉込めし立ち出んとせし、一同押し留め
龍馬の手紙・慶応2年12月4日付坂本権平一同宛
と、西郷ほどの大物が、自らピストルを持ち出して幕府の役所を襲撃しようとした話に感動したことを綴っています。
龍馬の新婚旅行と西郷
日本人初の新婚旅行は、坂本龍馬とおりょうと言われています。
寺田屋で幕吏(ばくり)に襲われ、重症を負った坂本龍馬と、その時に龍馬を助けたおりょうは、幕府にとってすぐに捕まえたい重要人物となってしまいました。
西郷隆盛は、この二人を京でかくまうよりは、薩摩まで逃して傷が癒えるまで湯治するように薦めました。西郷の手配した船で薩摩に渡った二人は、温泉に出かけてたり、薩摩の名物を見て回り、京の喧噪を忘れるひとときを過ごしました。
龍馬の新婚旅行のお膳立てをしたのは、西郷隆盛でした。
龍馬と西郷の関係年譜
元治元年 1864 | 8月 | 京都の薩摩藩邸で龍馬と西郷会見 |
11月10日 | 勝海舟が軍艦奉行を罷免。龍馬達の身柄を薩摩藩に託される | |
慶応元年 1865 | 5月1日 | 西郷に伴われ薩摩に入国 |
閏5月6日 | 下関で龍馬と桂小五郎が会見して、薩長同盟を内諾 | |
6月下旬 | 龍馬と中岡慎太郎が京都・薩摩藩邸で西郷と会見 | |
慶応二年 1866 | 1月21日 | 薩長同盟成立 |
1月23日 | 寺田屋で龍馬が幕吏(ばくり)に襲われる | |
3月5日 | 龍馬とおりょうが薩摩藩船で大坂から薩摩に旅立つ | |
慶応三年 1867 | 4月上旬 | 亀山社中を海援隊に改編 |
6月22日 | 龍馬立ち会いの下、西郷と後藤象二郎らの間で薩土同盟が成立 |