参勤交代の瓦解

竜馬がゆく

「妙だねえ」
竜馬は感心しながら歩いている。
街道に人が多いのだ。竜馬はもう三度目の東海道下りだが、こんなに街道が賑わうのを見たことがない。
それも、江戸下りではなくて、どんどん向こうから来る。
しかも女が多い。豪華な女乗物が、御殿女中や武士にかこまれて西へ西へと、時には前後がつづいて幾組ともなくやって来る。
「坂本くん、これがわかるかね」
「さあ」
「幕府瓦解の印さ」
清河が言った。
女乗物のなかみは、いい合わせたように諸大名の正夫人である。
(竜馬がゆく3 P103)日時仮設定

参勤交代の瓦解

参勤交代につきものの大名行列にかかる経費は、映画『超高速!参勤交代』(2014年に松竹の製作・配給で映画化)の中にもあるように、大きな負担だった。主な出費は、江戸周辺だけの日雇い人夫,馬代,宿泊施設,物品購入費等である。そのうち多くを占めるのが人足費です。
大名行列 3 分の 1 は専門の斡旋業者(六組飛脚問屋)に委託し た人材(通日雇)によってまかなわれていた。つまり アウトソーシングである。1859( 安政 6 )年,11万石の桑名藩松平家の場合,通日雇165名で764両の経費がかかっている。一両10万円と仮定した場合, 7,640万円である。大名行列が動くことによって、これだけ多額のお金が動くことになります。

幕末には各大名の不満が大きくなり、1862( 文久 2 )年、幕政改革の一環として 参勤交代を緩和(三年一勤 百日在府制)。しかし、諸大名の幕府からの離反を防ぐことはできず、かえって幕府の崩壊を早める 結果となりました。

参勤交代で起こった利点

参勤交代の制度化により、街道は整備されていきました。江戸につながる五街道はもとより、四国・九州の隅々まで幹線ができたことで、「お金も情報も流通」するようになったのです。
参勤交代があったからこそ、国内すべての地域で同等の貨幣がもたらされ、文化の均質化が促進されました。浮世絵があれほど広まったのも、江戸勤番武士たちが、国許への土産として買い求めたからと言われています。
言葉の文化も、地方訛りがあったにせよ意思疎通ができたことは、地方の藩が手を組む時の一助になっていたかもしれません。