大奥 伝説の御年寄 瀧山

御年寄瀧山 幕末の女性

最後の老女、瀧山

御年寄瀧山

瀧山は13代将軍・家定、14代・家茂の将軍付きの「御年寄/老女」という役職で、大奥内の最上位の役職を務めました。
1805(文化2)年、四谷に屋敷を構える旗本・大岡権左衛門の娘として誕生。実名は多喜(たき)。14歳で大奥にあがり、13代将軍・家定、14代・家茂の2代に御年寄として仕えます。
勝海舟の母・信とは従姉妹となります。
叔母には大奥上級女中を務めた染島(そめじま)がおり、姪のませも大奥に奉公しました。

安政6年10月17日 江戸城大火にて

几帳面だった瀧山は、贈答物の記録を残していました。
例えば安政六年(1859年)に大奥のほとんどが燃える大火事が起こります。この火事見舞いとしてのお手当が20両。他に5両。(約500万円)。将軍の生母本寿院様から5両。天璋院様から15両を頂戴していました。
瀧山の「御年寄/老女」という役職は、幕府内の皆が気を使う役職だとよくわかる記録です。

袖の下(賄賂)をもらうのも重要な役

江戸城の外からも贈り物が届きました。高砂姫路藩からは高級な着物反物が7回も贈られています。これと前後して姫路藩では領地の一部が取上げになる事態となっていました。
高砂姫路藩からの反物は、瀧山に領地没収の取りやめするように仲介をしていて、ほどなく没収の案件は収まることとなります。贈答品記録にもしっかりと「田安中納言様領地替えご猶予仰せ致されたということで、ちりめん(反物一反)を貰った」とまで、いただいた日付まで記していました。

御年寄の権力の理由

大奥の御年寄/老女の権限に、上様の夜伽(よとぎ / セックス)の相手を選ぶ権限があります。
徳川15代歴代将軍は正室からの世継ぎはほとんどなく、側室から生まれた子供が継いでいます。御年寄には次期将軍の誕生させる母親を決めるキングメーカなのです。

また、御年寄には決まった定年が無いため、強固な権力が生まれやすくなっていました。このために御年寄の実権が集中して大奥を実質支配していたと言っても過言ではないでしょう。

御年寄には定年・引退の年は決まっていませんでした。大抵は将軍が交代する時に退職して代替わりしてきましたが、13代将軍・家定(在任:1853〜1858年)、14代将軍・家茂(在任:1859年 – 1866年)に御年寄として2代続けて仕えました。15代将軍・慶喜が将軍になるタイミングで引退したと言われています。

慶喜が15代将軍を嫌がった理由

南紀派にいた瀧山と慶喜のいる一橋とは、その前からも将軍争いをしていた仲。その理由もあり、瀧山と慶喜との関係はよくなかったそうです。慶喜が将軍になるのをためらっていた一因が、大奥の最高権力者が瀧山だったからとも言われています。
慶喜は明治に入ってからの回想録で「老女(瀧山)は、実に恐るべき者にて 実際老中以上の権力あり」(大奥は瀧山の力が強大すぎた)と、明治期の、インタビューに残しています。剃刀(かみそり)と呼ばれた切れ者・慶喜も認めざるを得ない大奥のトップ、それが瀧山でした。

3人の女の意地くらべ

13代将軍・家定(在任:1853〜1858年)の正室として薩摩藩島津家から来た天璋院 篤姫。黒船来航で国内の結束が必要な時期の結納で、大名家から正室に入るのは初めてのことでした。

14代将軍・家茂(在任:1859年 – 1866年)には、天皇家から和宮を迎えました。公武合体を目指した結納で、天皇家から正室に入るのは初めてのことでした。

これまでは公家か宮家から正室を迎えていた将軍家がこの時から、武家、天皇家の嫁姑関係が生まれることになりました。

この二人の正室がいる大奥を二人の立場やメンツを取り持ちながら仕切った御年寄・瀧山はかなりの統率力・実行力のあった人だったのでしょう。
そのお陰なのか、その後におこる戊辰戦争からの徳川滅亡の危機には、二人の元正室がそれぞれの立場で徳川家を守ったのです。

大奥で出世する方法

大奥の最上級の役職は御年寄。大勢の女中たちを執り仕切る実質的な大奥の最高権力者です。
歴代の御年寄には「絵島生島事件」を引き起こした絵島(えじま)、天璋院篤姫付きの幾島(いくしま)らが著名。
中でも「大奥最後の御年寄」といわれる瀧山(たきやま)は広く一般に知られ、ドラマなどにもたびたび登場するほど、その生涯は魅力的で話題に事欠きません。

大奥で出世するための3つの要件

1引き、2運、3器量

1)まずは、大奥に入れば上の人に気に入られて引きあげてもらうのが肝心。そのためには、上級女中との繋がりができるように努めます

2)良い運・悪い運で出世が決まるのも世の習いです

3)ここで言う器量とは、べっぴんさんというだけでなく、物事をしっかりとできる才能がある者。要領や機転など働けることも大切

当時の男性は生まれ持った身分の石高で自分の身分や出世の限度がほぼ決まっていました、大奥に入った女性の場合は生まれの縛りがない出世のチャンスがありました。(それでも、身分による上限はありますが…)

大奥の序列と給料

江戸城の半分を占めていたと言われる大奥。大奥内のはっきりとした身分が成立していました

役職禄高職務
上臈御年寄100石15人扶持・合力100両(200両相当)将軍御台所(正室)が京都から降嫁してくる際に同行してきた御年寄
老女(御年寄)50石10人扶持・合力60両(110両相当)旗本以上の家格から大奥入りし、才覚を認められて出世したキャリアウーマン・大奥の最高責任者
小上﨟・中年寄40石7人扶持・合力40両(80両相当)御台所(正室)付きの年寄り・見習い
御客会釈25石5人扶持・合力40両(65両相当)(おきゃくあしらい)女性使者の接待役
御錠口20石5人扶持・合力30両(50両相当)御錠口(おじょうぐち)の管理責任者
御表使12石3人扶持・合力30両(42両相当)幕府に大奥の意向を伝える身分。幕府の役員と対等の立場に
御祐筆8石3人扶持・合力25両(33両相当)(ごゆうひつ)日記・書状の執筆
御次 呉服鈴之間 御広座敷5〜8石3人扶持・合力15〜20両(28両相当)道具の担当・将軍の衣類の担当など
御三乃間5石2人扶持・合力15両(20両相当)上級女中の身の回りの掃除洗濯を受け持つので、顔を覚えてもらうチャンス!
御中居5石2人扶持・合力7両(12両相当)市井の者の出世は大体がこの辺りまで
御茶の間8石3人扶持・合力25両(33両相当)茶室などのお茶の準備。上級女中が来る場所なので、顔を覚えてもらうチャンスがある
御使番 火の番4石1人扶持・合力5両(9両相当)御表使のサポート・火の番
御末(御半下)4石1人扶持・合力2両(6両相当)朝4時から水汲みや掃除、身分の高い人の籠かきなど重労働を受け持つ
お客様が来ると食事の暇もなかった
NHK/歴史探偵 23年2月放送「大奥」・日曜日の歴史学/山本博文 東京堂出版

禄高の1石は、1両相当です。1両を現在の約20万円相当で計算すると、上位のお年寄りになると年収2,200万円から、最下層の御末は年収120万円です。
1人扶持は、1日米5合、月々に炭を15俵、薪を20束、灯り用の油の支給があります。

さらに引退後には、年金が支給されました。

延享元年(1744年)9月の規定で、30年以上勤務した女中には、切米か合力金のどちらか多い方を一生与えるとしました。
呉服間頭で引退した者だと、合力金30両・年間約600万円の年金を受け取りました。一生のくらしが補償され、引退後は、実家に帰る事もできますが、桜田御用屋敷に暮らす所を用意してもらえました。