咸臨丸、出航

徳川幕府

このあと半年というものは、竜馬はひまさえあれば小竜の屋敷にあそびにきてその夢をものがたった。
小竜もそのうちだんだん竜馬の夢に乗せられて、本気で艦隊建設のはなしを談ずるようになった。

(竜馬がゆく2-P190)

遣米使節団 咸臨丸が品川を出港する。

幕府はアメリカと日米修好通商条約の批准書交換(国家が条約に拘束されることに同意する手続きのひとつ)するための使節団が乗るアメリカ軍艦ポーハタン号の護衛艦として咸臨丸を随行させました。
咸臨丸には、海軍技量を試す訓練として、軍艦奉行・木村芥舟、艦長・勝海舟、通訳中山万次郎、木村の従者として福沢諭吉などが乗船しました。

咸臨丸
徳川幕府がオランダに発注して、安政四年(1857年)に建造した木造蒸気船。日本が2番目に保有した西洋式軍艦で、幕府の船として初めて太平洋を往復。
幕府の練習艦として長崎海軍伝習所や江戸の軍艦操練所で練習船に使用していた。
その後、戊辰戦争に参加するものの、軍艦としての機能は他艦に劣るため運送船の役割を担っていたが、新政府軍に拿捕される。明治政府発足後には、開拓使の輸送船となった。

安政7年(1860年)1月13日に品川を出港。1月18日に横浜に寄港し、19日に浦賀を出港する。

品川神社