1854-11

江戸時代の常識・風習

安政の大地震-寅の大変

その時である。嘉永七年十一月五日の地震が、江戸・相模・伊豆を襲ったのは。「いかん。お冴え中止じゃ」とっさに大刀を拾い上げた。立っていられないのだ。どすん、と床が沈むような感じであったが、すぐ横振れになった。壁土がばらばらと落ちはじめお冴えの...
江戸時代の常識・風習

プチャーチンの遭難

「坂本さん、どうなされたのです。」千葉道場に戻ると、みな竜馬を見て驚いた。この地震騒ぎの中、女をおぶっている。「この女は深川まで帰るのだが、この騒ぎ、明け方まで預かってくれんか。藩邸の様子を見て来る」鍛冶橋屋敷について様子を聞くと、御門の瓦...
土佐藩

岡上新輔(樹庵)

安政元年十一月二十八日 「あら、竜馬」乙女は嬉々とした声をあげた。「今度の地震でかえってきたのですね」ほどなく、義兄の岡上新輔が戻ってきた。「きちょったか」「どうせしばらく江戸には戻らんのじゃろ。乙女、うんと馳走してやれ」「サーチ」「サーチ...
江戸時代の常識・風習

ボヤ騒ぎ_防災

嘉永七年十一月二日 夕刻、土佐藩の鍛冶橋屋敷から火が出た。道場にいた竜馬は急いで身支度をし駆けつけるとすでに火が消えている。 「幸い作事小屋のカンナ屑が燃えたところで消し止めました」 「それぁよかった」その時パラパラと雨が降って来た。 「傘...
徳川幕府

帰郷_安政に改元

安政元年十一月二十七日 竜馬は大坂天保山から海路土佐へ向かい、船泊まりをかさねてようやく浦戸湾に入った時には、四国山脈の朝もやが晴れようとしていた。一年八か月ぶりの帰郷である。 しかし想像していたよりも地震と津波の被害は大きく(材木屋と大工...