文化人教養人

文化人教養人

河田小龍

(洋学も学ばにゃ、ならん)と、竜馬はだいそれた野望をおこしたのである。「洋学。-」武市半平太も驚いた。武市は、漢学、国学に造詣がふかいが、洋夷の学問まではやっていない。竜馬は、世界のことが知りたい。万里の波濤を蹴ってこの極東の列島帝国まで黒...
文化人教養人

緒方洪庵

足守藩(現在の岡山県)出身の緒方洪庵は、江戸・長崎で蘭学や西洋医学を学んだのち、大坂で開業医とともに、最新の蘭学塾として適々斎塾(適塾)を開いた。ここには、福沢諭吉をはじめ、橋本左内、大村益次郎、大鳥圭介ら、多くの優秀な人材が集まった。 幕...
文化人教養人

新島襄アメリカへ

「北添よ、えぞちを見物してこぬか」北添佶摩は、びっくりした。この当時の日本人にとって、北海道といえば。心理的にはこんにち、南極を見にゆけ、といわれるにひとしい。竜馬がゆく4 P305 志士 蝦夷地移住計画 新撰組に制圧されて京にあふれている...
徳川幕府

渋沢栄一

渋沢栄一と坂本龍馬は、北辰一刀流・千葉道場系の兄弟弟子だった! 渋沢栄一 (1840〜1931/天保11〜昭和6) 渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営する豪農だった。原料の買い入れから販売まで算盤をはじく商業的な才覚が求められ、14歳の時に...
文化人教養人

高崎城乗っ取り計画

高崎城乗っ取り計画 尊皇攘夷の風が強くなる文久三年。師匠の尾高惇忠(おだかあつただ)とともに、渋沢栄一、渋沢成一郎(喜作)の3名が中心となり武蔵国から立ち上がろうと計画します。まず高崎城を乗っ取り、城にある軍備を手に入れ整えたら、ただちに横...
土佐藩

佐久間象三に学ぶ

嘉永六年十二月一日 その年も暮れた。 memo 佐久間象三 1853年12月1日、坂本龍馬は、佐久間象三の門を叩き、砲術を学ぶ。 1840年のアヘン戦争で清国の敗北に驚愕した徳川幕府は、老中真田幸貫に海防掛を命じる。その折、佐久間象三が、洋...