江戸時代の常識・風習伊藤博文と円朝-文七元結 (どうも、このひとにはかなわぬ)肩をすくめたが、そのまま髪をゆだねた。お田鶴さまはこういう再会の仕方がひどく気に入ったらしく、入念にすき、元結を結ぶべく髪を引っ詰めた。「痛っ」竜馬は悲鳴をあげた。お田鶴さまはかまわず元結を巻き、そのあたりに...1889.12.01江戸時代の常識・風習江戸落語の世界(芸能・娯楽)
江戸時代の常識・風習柳馬場蛸薬師 中岡はいま町屋の密集した柳馬場蛸薬師の借家に、薩摩藩士横山勘蔵という変名で住んでいる。竜馬が行く 8 P64 柳馬場通りは、京都御所南側の丸太町通から塩竈町まで約2.3kmのまっすぐ縦断した通りです。豊臣秀吉肝いりの当時日本一の遊郭『二条柳...1867.04.01江戸時代の常識・風習江戸落語の世界(芸能・娯楽)
江戸時代の常識・風習士族の商法 後藤は、長崎や上海で手あたり次第に軍艦や銃砲を買っているが、せいぜい支払ったのは樟脳と交換した三万両程度のもので、あとは丸山で豪遊するばかりで異人どもにも金を支払っていない。「軍艦を買う」と藩に金を要求しては丸山へ行って一斗樽から金銀をぶち...1866.08.10江戸時代の常識・風習江戸落語の世界(芸能・娯楽)
幕末の女性門付け・軒付け 「なんだえ、あれは」と通行人が目を見張って竜馬らをみてゆく。先頭をゆく竜馬は、左手をふところ手。それが鼻歌でカンカン踊りの文句を歌ってゆく。 うしろのおりょうが、まさか月琴を伴奏してゆくわけではないが、とにもかくにも月琴を抱えているために、...1864.08.01幕末の女性江戸落語の世界(芸能・娯楽)
江戸落語の世界(芸能・娯楽)枡屋喜右衛門と京都気質 ふと河原町の往来で会った顔見知りの町人が「枡屋はん、ちかごろ繁昌どすなぁ、よろしおすな」となにげなくいった。町人姿の俊太郎は、ぎょっとした。「いえいえ左様なことはござりませぬ。まだ祇園会の前で、夏枯れは早いはずでございますに、商いはすっかり...1864.06.05江戸落語の世界(芸能・娯楽)豪商・商人長州藩
江戸落語の世界(芸能・娯楽)圓朝 江戸のトップ噺家に 竜馬は、房州二州にはいない。この時期、竜馬は長崎にあり、熊本にあり、大坂にあり、神戸村にあり、京都にあり、さらに江戸へも旅立つ。元治元年正月から初夏にかけてのかれの行動は、所在転々としている。竜馬がゆく5 P26 三遊亭圓朝 初代橘家 圓太...1864.03.21江戸落語の世界(芸能・娯楽)